ホウ・シャオシェン監督による1985年作『冬冬の夏休み』、そしてホウ・シャオシェンにおける「見ること=映画」という構造について。子供の特徴として、友達間以外では状況に対して何もできないということがある。この映画ではそれがルールとして設定される。…
ホウ・シャオシェン監督による1985年作『童年往事 / 時の流れ』について。文字通り時の流れが収められたような映画で、その時の流れに伴い社会が変容し、その影響を受けつつ主人公の家庭も変容していく。そして、主人公自身も変容していく。
ホウ・シャオシェン監督による1983年作『風櫃(フンクイ)の少年』について。 日常を映画のように見る少年たち 主人公である少年が大人になる直前の悪友や片想いの相手、親の家族像をなぞることなどに対する葛藤についての物語であり、モラトリアム映画。そ…
ウェス・アンダーソン監督による2021年作『フレンチ・ディスパッチ』、そのモチーフとなっているだろうシュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』について。大枠は『グランド・ブダペスト・ホテル』と同様に、多様で理想郷的なコミュニティが失われてしま…
キム・ボラ監督2018年作『はちどり』について。母、父、兄が演じてきた家父長的な家庭内での役割が家族への葛藤とともにそれぞれ崩れていく。それと平行に、その役割に適合できなかった人も死んでいくし、それを強いてきた社会自体が崩れていくことも、スト…
ロベール・ブレッソン監督による1967年作『少女ムシェット』について。冒頭の鳥と同様に、ムシェットは地べたでの生活をしており、どこに行っても罠がある。その中で、物理的にも雨に打たれて泥まみれになるのが描写されていく。母親の死と強姦によって周囲…
ロベール・ブレッソン監督による1966年作『バルタザールどこへ行く』について。幸せそうな家庭があり、ほとんど結ばれてるような幼馴染がいて、大切に飼われているロバがいるという理想的な状況がある。しかし、その幼馴染は結ばれず、家庭は破産し農具が近…
ロベール・ブレッソン監督による1962年作『ジャンヌ・ダルク裁判 』について。カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』が権力差や体制の暴力性、内的な葛藤など、裁判に関わる要素の象徴的な演出に溢れていたのに対して、この映画は主軸の3人、…
カール・テオドア・ドライヤー監督による1964年作『ゲアトルーズ』について。愛が全て、裏返せば愛以外がない、信仰もないし生きてもいないという女の人が主人公となる。恋愛と思考が両立し、恋愛の中で愛と官能が共存する。そしてその恋愛が永遠に維持され…
カール・テオドア・ドライヤー監督による1954年作『奇跡』について。父、仕立て屋に代表される2つの宗派があり、対立している。どちらも自然法則に逆らえないと考えていることは共通している。インガの死が中心となるが、どちらの宗派にとっても、自然は神が…
カール・テオドア・ドライヤー監督による1943年作『怒りの日』について。教会による同化的・排他的な制度、婚姻制度によって抑圧された社会があり、魔女狩りが行われている。魔女狩りの根拠となる信仰が、実際に起こったのか不確かな魔術と同等に、この社会…
カール・テオドア・ドライヤー監督による1928年『裁かるゝジャンヌ』について。 システムとしての体制、人間としてのジャンヌ ジャンヌを神の啓示を受けた19歳の少女とする。そのジャンヌが体制にひたすら蹂躙されるように命と信仰のどちらをとるかを試され…
『MEMORIA メモリア』はアピチャッポン・ウィーラセタクン(正式な日本語表記は アピチャートポン・ウィーラセータクン らしい)監督の2021年の映画である。人類の起源を含めた数千年以上前からの記憶を吸収し保存してきた自然があり、それがトンネルによっ…
『真昼の不思議な物体』 はアピチャッポン・ウィーラセタクン(正式な日本語表記は アピチャートポン・ウィーラセータクン らしい)監督による2000年公開の一作目である。 接続されていくパーソナルな物語 相手を失った男についてのラジオドラマが流れる中、…
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の2018年の短編『Blue』について。森の中に寝ている女性に焚き火がオーバーラップする。同じ場所にスクリーンがあって2つの時代の同じ場所が描かれている。そのスクリーンにも焚き火がオーバーラップする。そして焚き火…