「馬ではない」存在としてのロバ ー イエジー・スコリモフスキ『EO イーオー』

イエジー・スコリモフスキ(Jerzy Skolimowski)による 2022 年作『EO イーオー』について。 以下、ネタバレが含まれています。 「馬ではない」存在としてのロバ 冒頭、サーカス団で飼われるロバであるEOが、カサンドラと演目を行っているシーンは性的なもの…

暴力的状況 / 着せられた役割 ー オタール・イオセリアーニ『鋳鉄』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1964年作『鋳鉄(Tudzhi)』について。 溶鉱場で働く人々の朝から次の朝までの24時間をドキュメンタリー的に撮った短編で、都市映画の形式を持っている。シチュエーションと構成だけ見れば『鉱』と非…

直視される観客 ー オタール・イオセリアーニ『ジョージアの古い歌』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1969年作『ジョージアの古い歌(Dzveli qartuli simgera)』について。 ジョージアの4つの地域での伝統的な多声合唱を記録し、紹介するという立て付けの短編。各地域の多声合唱を背景に、それぞれの地…

モノクロの過去 ー オタール・イオセリアーニ『エウスカディ、1982年夏』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1983年作『エウスカディ、1982年夏(Euzkadi été 1982)』について。 冒頭、バスク地方の言語がヨーロッパ最古の言語であること、住む人々が言語、伝統を維持し続けていることが語られる。前半はモノ…

オタール・イオセリアーニ『群盗、第七章』において主人公は誰を生きているか

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1996年作『群盗、第七章(Brigands, chapitre VII)』について。 主人公は誰を生きているか 中世、ソ連占領下、内戦下の現代という3つの時代のジョージアにおいて群盗である人々を描いた映画。同じ役…

同期する群衆と歯車 ー セルゲイ・M・エイゼンシュテイン『ストライキ』

セルゲイ・M・エイゼンシュテイン(Sergei Eisenstein)監督による1925年作『ストライキ(Strike)』について。 同期する群衆と歯車 「団結だけが労働者階級の持つ力だ」というレーニンの引用が表示され「だが...」という文字が工場の歯車へと変容する。それ…

禁酒法 / 矯風会 / アル・カポネ ー D・W・グリフィス『イントレランス』

D・W・グリフィス(David Wark Griffith)監督による1916年作『イントレランス(Intolerance)』について。 禁酒法 / 矯風会 / アル・カポネ バビロン編、ユダヤ編、中世フランス編、現代アメリカ編という史実を元にした(と劇中で強調される)4つの物語で構成…

さらば、荒野よ ー オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1999年作『素敵な歌と舟はゆく(Adieu, plancher des vaches !)』について。 さらば、荒野よ 『蝶採り』と同じく、異文化、異なる階級間での関係と断絶についての映画となっているように感じる。豪邸…

消費される魔法の終焉 / なぜフラハティか ー オタール・イオセリアーニ『そして光ありき』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1989年作『そして光ありき(Et la lumière fut)』について。 あらすじ おそらくイオセリアーニが作り上げたものであろう集落があり、そこでは雨乞いをすれば豪雨が訪れ、切り落とされた首を繋げれば…

一つ目の断片は何か ー オタール・イオセリアーニ『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1982年作『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片(Lettre d'un cineaste - Sept pieces pour cinema noir et blanc)』について。 一つ目の断片は何か パリの都市生活を映した映像に『四月…

オタール・イオセリアーニ『トスカーナの小さな修道院』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1988年作『トスカーナの小さな修道院(Un petit monastère en Toscane)』について。 トスカーナの外れに修道院があり、5人の修道士がおそらく古くから伝承されてきただろう宗教儀式を毎日繰り返し、…

歴史と亡霊、レンブラントの光 ー オタール・イオセリアーニ『蝶採り』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1992年作『蝶採り(La Chasse aux papillons)』について。 歴史と亡霊、レンブラントの光 フランスの古城、所有者といとこを中心にマハラジャ、べん髪のベジタリアン集団、飲んだくれの神父など様々…

共存から内戦へ / 独裁者と信仰 ー オタール・イオセリアーニ『唯一、ゲオルギア』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1994年作『唯一、ゲオルギア(Seule, Georgie)』について。 共存から内戦へ かつて複数の民族、宗教が共存していたジョージアがなぜ内戦へと至ったのかという問いが冒頭におかれ、紀元前からこの映画…

1921年4月、ソ連占領下のジョージア ー オタール・イオセリアーニ『四月』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1962年作『四月(Aprili)』について。 ソ連のジョージア侵攻が1921年の2月15日から3月17日らしいので、タイトルはソ連の占領下となった1921年の4月を指しているんだろうと思う。 ジョージアの家が、…

道路を割る花 / ポリフォニー ー オタール・イオセリアーニ『珍しい花の歌』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1959年作の短編『珍しい花の歌(Sapovnela)』について。 ジョージアの山岳風景が映される。そこに咲いていた花が「珍しい花」という商品として温室で人工的に育てられている。温室で育てられた花が、…

幸福への適合 ー オタール・イオセリアーニ『水彩画』

オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1958年作の短編『水彩画(Akvarel)』について。 労働と家事に明け暮れる妻、飲んだくれる夫。疲弊した家庭を追い詰めるように鳴り響くスピーカー。妻の金を盗んで逃げた夫はギャラリーに辿り着く。夫…

ジョルジュ・フランジュ『殺人者にスポットライト』における真の殺人者は誰か

ジョルジュ・フランジュ(Georges Franju)による1961年作『殺人者にスポットライト(Pleins Feux sur l'Assassin)』について。 死期を迎えた古城に孤独に暮らす伯爵は、オルゴール付きの人形と共に鏡の裏に隠された部屋に入って死ぬ。鏡の裏の部屋の存在は…

信じられてしまった虚構 ー サッシャ・ギトリ『毒薬/我慢ならない女』

サッシャ・ギトリ(Sacha Guitry)による1951年作『毒薬/我慢ならない女(La Poison)』について。 スタッフロールの代わりにサッシャ・ギトリが全員の名前を呼びながら俳優やスタッフに感謝してる映像が冒頭に差し込まれており、それによってこれが作られ…

信仰 / 騎士道としての白 ー ジャン・グレミヨン『白い足』

ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1949年作『白い足(Pattes blanches)』について。 ブレッソンのキャリア初期と同じ時期にカール・TH・ドライヤーやこの監督の後期の映画があるということにすごく納得感がある。冒頭の空に左下にさがるように広…

二つの戦前 / 演じること ー ジャン・グレミヨン『不思議なヴィクトル氏』

ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1938年作『不思議なヴィクトル氏(L'étrange Monsieur Victor)』について。 ヴィクトルがコメディアンととして登場するが、画面は何かぼやけて閉塞感に満ちている。そこに、殺人のニュースと明らかに異様な雰囲…

戦場と生 ー ジャン・グレミヨン『曳き船』

ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1941年作『曳き船(REMORQUES)』について。 幸福に満ちた船員の結婚式を映すカメラは、ぐるぐると忙しなく回るように移動し続ける。カットも不安定に切り替わり続ける。カメラの移動はなぜか上下に弧を描くよう…

運命への報われない抗い ー マックス・オフュルス『永遠のガビー』

マックス・オフュルス(Max Ophüls)による1934年作『永遠のガビー(Everybody's Woman)』について。 『魅せられて』『忘れじの面影』に共通する、どこにもいけない人物とどこにでもいける人物という対比がこの映画にも存在しており、今回は父親によって家…

『アントマン&ワスプ:クアントマニア』社会主義 / 革命 / 大衆と独裁者

MCU

『アントマン&ワスプ:クアントマニア』のネタバレがあります。 見た方のみお読みください。 社会主義 / 革命 / 大衆と独裁者 「小さき者」つまりモブ、大衆であるアントマン達が、独裁者であるカーンに対して革命を起こすという話になっている。 トニー・ス…

内臓手術的体感 ー 小田香『鉱 ARAGANE』

小田香監督による2015年作『鉱 ARAGANE』について。 『伯林』『カメラを持った男』のような都市映画の形式をもった映画だが、それら映画とは真逆に、機械の運動はリズミカルではなく痙攣的。人間は機械の一部のように同期して動くのではなく、機械に対して外…

死へと向かう西洋 ー マックス・オフュルス『忘れじの面影』

マックス・オフュルス(Max Ophuls)による1948年作『忘れじの面影(Letter from an Unknown Woman)』について。 シュテファン・ツヴァイクの同名小説を原作とした映画。原作において、手紙を読む男は R. という名前で小説家という設定だが、この映画ではピ…

蜃気楼としての過去、砂漠としての未来 / 大いなる存在の介入 ー ジャン・ルノワール『ランジュ氏の犯罪』

ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1936年作『ランジュ氏の犯罪(Le crime de Monsieur Lange)』について。 出版業界の大物バタラは詐欺のような方法で人々から金を巻き上げている。バタラはフリッツ・ラングにとってのドクトル・マブゼのような、悪…

精神性を抜かれたフロンティアスピリット ー ジャン・ルノワール『南部の人』

ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1945年作『南部の人(The Southerner)』について。 精神性を抜かれたフロンティアスピリット 「こいつら嫌いだわー!」って思いながら嫌々撮ってる感が映像から溢れ出してるように感じたけど、どうなんだろう。映画…

イメージと現実の狭間で ー ジャン・ルノワール『浜辺の女』

ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1946年作『浜辺の女(The Woman on the Beach)』について。 イメージと現実の狭間で 元海軍である主人公は魚雷で船を破壊される夢を見続けている。翻訳では省略されていたが、海沿いの町の警備隊員である主人公は自…

反復と不可逆な変化 ー アンドレ・テシネ『証人たち』

アンドレ・テシネ(André Téchiné)による2007年作『証人たち(The Witnesses)』について。即興的に撮られたような映像とは対照的に、物語構造や人物設定は非常に構築的なものとなっている。 反復と不可逆な変化 この映画は、春から夏、秋から冬、マニュの…

ジャック・ベッケル『偽れる装い』における装うことの持つ意味

ジャック・ベッケル(Jacques Becker)による1945年作『偽れる装い(Falbalas)』について。 装うことと映画監督 ファッションデザイナーであるフィリップは彼にとってのミューズを探し続けている。ミューズと見做した女性を見る時、フィリップは現実世界の…