日本映画

内臓手術的体感 ー 小田香『鉱 ARAGANE』

小田香監督による2015年作『鉱 ARAGANE』について。 『伯林』『カメラを持った男』のような都市映画の形式をもった映画だが、それら映画とは真逆に、機械の運動はリズミカルではなく痙攣的。人間は機械の一部のように同期して動くのではなく、機械に対して外…

2020年、東京郊外のスナップショット ー 三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』

ボクシングジムの会長の体調の悪化に対して医師は、変化が目に見えるようになればそれは既に手遅れであること、変化は落ちた雨粒が石に穴をあけていくように、少しずつ見えない形で進行していくことを伝える。 音が凄まじく作り込まれた映画となっている。音…

フレームの外へ向かう運動 / 内からの祈り ー 山崎樹一郎『やまぶき』

冒頭、黒い画面にやまぶきの花が咲くように描かれる。その絵に重なるように山が映されるが、その山は開発されやまぶきは枯れている。劇中語られる通り、やまぶきは田舎にしか咲いていないような日陰でしか育たない花であり、一面砂と石の広がる、日光を遮る…

野原位『三度目の、正直』日常 / 行間に潜むもの

野原位監督による2022年作『三度目の、正直』について。役割、自分自身で内在化した理想像による日常的な抑圧についての映画のように感じる。 その役割を他者に押し付ける心理の根源には子供や妻に対する「自分のものだ」という所有の感覚がある。主人公はそ…

濱口竜介『偶然と想像』における想像の位置 / なぜブレッソンか

濱口竜介監督による2021年作『偶然と想像』における想像の置かれている位置を、この映画が "言葉によるセックス" についての映画であるという点から考える。そして、それを元になぜこの監督がロベール・ブレッソンの方法を用いているのかについて考える。

他者の目から世界を見つめること / 重心を合わせること ー 濱口竜介『ハッピーアワー』

濱口竜介監督による2015年作『ハッピーアワー』について。相手の目から世界を見ること、そのテーマを映画自体が体現している。

魂から伸ばされた手によって拾われた言葉 ー 濱口竜介『親密さ』

濱口竜介監督による2012年作『親密さ』。渡されずに落ちていた想像力が拾われ、演劇や詩、映画になることについて。

『天気の子』における搾取構造の否定

新海誠監督『天気の子』について。最初の方、ネカフェに泊まるシーンにおいて帆高が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹翻訳の方)を読んでいることがわかります。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は学校からドロップアウトし主人公ホールデンが社…