コルネリュ・ポルンボユ 『トレジャー オトナタチの贈り物。 』 逃れられない袋小路


コルネリュ・ポルンボユ監督による2015年『トレジャー オトナタチの贈り物。』について。インタビューを元にこの作品を持つ意味を考えていく。

作品の背景

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監督のこの作品についてのインタビューがYouTubeに上がっている。

この映画を撮ることになった背景としては、この映画の主役を演じている人が実際に監督に祖父母の宝の話をしてきて、一度監督と金属探知機持って探しに行ったらしい。それをドキュメンタリーとして映画にする予定だったけど、途中でフィクションに変更したという背景がある。この映画でのセリフとかもそのドキュメンタリーとして撮られたものをそのまま演じ直していたりする。

映画に出てくる迷路みたいな打ち捨てられた庭は実際に存在していて、その中で監督達が暗くなるまで見つからない宝を求めて穴を掘っていた時に、その庭、そしてその庭に背景として潜む歴史、革命があり共産主義の支配がありそこから民主主義になってっていう150年近い歴史に捕らえられて逃げられないような感覚になったらしく、そこから逃げ出すにはどうすればいいかを見つけたかったからドキュメンタリーにするのをやめ、フィクションにしたらしい。

逃がれられない袋小路

そういう背景があるからこそ、この映画は暗闇で穴をひたすら掘る映画となっていて、最後はそれと対比的に昼間の太陽で終わる。宝探しシークエンスが何かサスペンスがあるわけではなく、退屈でフラストレーションも貯まる長々と続くものになっていた理由もそこにあるんだと思った。

主人公は不況でお金のない会社員で、金銭的な自由もなく、平日の早抜けにも嘘をつかないといけないように制度的な自由もない。その主人公が宝探しという賭けに勝ち、大金を手に入れる。それを真珠に替えて冒険の成果として夢を見せるように子供に見せて配るというという、主人公が自由を手に入れる冒険譚になっている。

庭は共産主義時代を経由する歴史を象徴するもので、主人公はその庭からも物語始めの状況からも抜け出せてはいる。しかし、宝探しで見つかったものは株式、しかもドイツのものであり、それを通して大金が手に入れられる。その大金には税金もかかる。それによって、これまでの歴史やその積み重ねの上にある今の社会の逃げ場のなさからは逃げ出すことができた一方で、新しく資本主義の構造の中に入っただけのようにも見える。この映画のラストのカタルシスのあるようでない感覚、最後の太陽の解放感と共に目を刺すような感覚はそこから来るもののように感じた。袋小路から逃げ出せたようで新たな袋小路に進みつつあるような映画。

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https://www.imdb.com/title/tt4515684/