カール・テオドア・ドライヤー『怒りの日』 信仰と対置・並列される魔術

カール・テオドア・ドライヤー監督による1943年作『怒りの日』について。

信仰と対置・並列される魔術

教会による同化的・排他的な制度、婚姻制度によって抑圧された社会があり、魔女狩りが行われている。魔女狩りの根拠となる信仰が、実際に起こったのか不確かな魔術と同等に、この社会の誰もが信じてるものとして置かれる。

早くの結婚によって欲望を抑圧されてきた、制度によって縛り付けられてきた主人公が自身の欲するものを願うと実際に叶う。そしてそれによって主人公は制度的に魔女と認定されて火刑に課されることになる。

信仰と魔術のどちらをも人間の内側から滲み出るものとしておかれる。人間の深い部分を炙り出すようにライティングやじりじり動いていくカメラがある。それを象徴するようなカメラがゆっくり動き出す瞬間の緊張感。

それに対して、制度を現すような譜面や判決文などの紙面、その音楽は事務的で権力的。言うことを聞いてもらうことがはなから不可能そうなオーラを放っている。

主人公が魔女なのかどうかは明確にならないまま進むが、最後、主人公が罪の告白の正当性が制度としての教会によって認められることで、実際にどうだったかは関係なくこの社会では魔女であることになる。ここで、主人公がその他の人々と切り離されて神と同列の存在になる。それを表すように主人公に対して十字架が現れる。ただ、それは同時に制度によって殺される存在になることを意味する。そのため、その十字架は火刑の磔に変わる。

感想 / レビュー / その他

信仰を元にした制度、それによって成り立つ社会を対象とする話ではある一方で、視点が魔女側、信仰側のどちらにも寄っていない。さらに何が事実かの境目も、実際何が起きていたのかすらも曖昧な描き方になってる。

一方的に結婚したように見える父親も、父親の結婚と主人公の母親の背景が示されていないために、実際にそうであるようにも、魔女裁判から救うために結婚したようにも解釈できるなど、何を事実としてどの視点から見るかによって、どのような結論にもなるような映画のように感じた。

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