ホン・サンス『イントロダクション』抱擁と行間


ホン・サンス監督による2020年作『イントロダクション』について。

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抱擁

3パートに分かれた映画で、自分のことを小さい頃から知っていて自分のことが好きだろう看護師に対する演技の抱擁、そしてドイツでの彼女への本当の抱擁、そして別れた彼女への夢の中での抱擁というパートごとに存在する主人公にとっての意味が異なる抱擁で緩く繋がっている。

主人公は1パート目で父に呼び出された病院で有名俳優と出会い、2パート目ではドイツに留学に出た彼女に会いに行く。3パートでは1, 2パート目での彼女はドイツで別の男と結婚していて、1パート目での抱擁に罪悪感をずっと感じていたのか、演技の抱擁、愛のない抱擁はできないとして俳優を辞めようとしている。それに対して、有名俳優が演技でも抱擁は全て愛だと説教する。そして、主人公は夢の中で別れた彼女を抱擁する。それは演技かどうかはわからないが、愛のように見える。

ズーム含めた滑らかなのに人為的で違和感があるカメラワークが非常に特徴的。表面的には何気ないように見える映像、人物達もほとんど感情を語らないし見せない映像の中で、そのカメラワークの違和感によってその裏にある人物達の内面の揺らぎが映像として表面化してくるような感覚がある。そしてそのカメラワークが滑らかだからこそ、その日常から揺らぎの表出への移行がシームレスになっている。それによって、語られていない何かが映像の中に常に存在しているということを意識させられる。

行間

些細に思えるようなエピソードが間にどれくらいの時間が流れたのかもわからない形でおかれている。そのエピソードは全て抱擁によってクライマックスを迎える形となっていて、1パート目の後に主人公が有名俳優に俳優になることを勧められていたことなど、物語的に重要そうな瞬間は映されず、後のパートで明らかになったりする。 その中で明確に語られないのは主人公、そしてその父親の内面となっていて、1パート目で父親が祈っていたチャンスが指しているもの、主人公を呼び出した理由3パート目で主人公が友人にしようとしていた話という、後に明かされるように見えた話がわからないまま終わる。 エピソードの間に行間として存在しているものを後のエピソードの情報を元に補完する、わからないままのものは想像することを強制される。

主人公の彼女が言及していた枝の積み重なったような木、ホテルのベランダでタバコを吸う母親という、2つのズームされた状態で現れるショットが他の場面と比べて浮いたように差し込まれる。この2つのショットは誰の主観でもない。そしてこの2つのショットによって物語的に説明されたと思っていた主人公の彼女、母親が心の中に何を思っていたのかがわからないものとして現れるような感覚がある。

映像に映っているが語られない内面の存在を通してエピソードの間にある行間を想像させていくような映画で、その想像されたものこそがこの映画が見せているもののように思う。登場人物達がわからない存在として現れ、そして人物間にある関係性もまたわからないものとして存在する。『あなたの顔の前に』と共通して、本来わからないはずの人間の内面をそのままわからないものとして意識させる一方で、想像の道筋が引かれている感覚がある。

感想 / その他

さらに冒頭で撮影期間が明示され、この作品がコロナが深刻化していく中で撮られたことがわかることで、その行間から直接は描かれないコロナ禍という社会背景が滲み出てくるようになる。特に編集にコロナ禍を感じて、もしかしたら撮影中断していて撮れなかったシーンが結構ある状態で編集始めていて、だからこそのこの尺でこの構成なんじゃないかと思う。

切り詰められた『あなたの顔の前に』と比べてカメラワークも構成も非常に特殊で、さらに1日の話として時間の流れが常にわかっていた『あなたの顔の前に』に対してエピソード内でもエピソード間でも時間がどれだけ流れたのかが全くわからない。

あなたの顔の前に』 は1時間半の映画の一つの理想系のような語り口だったけど、この映画は66分という尺だからこそ良い。

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