モーリス・ピアラによる1974年『開いた口』について。
物質に向かう死と再生産される家庭
母が病気でジリジリと動けなくなって死んでいく映画。冒頭の直感的に死を自覚してる母とそれを知ってる子の間の会話の気まずさと親密さが同居する会話のセンチメンタルさに対して、それ以降その母の死に映画的なドラマが一切なく、段々と理性が衰えて動物的になって最終的に物質に返っていくような過程を見せられる。
子とその妻と父と叔父がいて、モテるし浮気症な男性とそれに嫉妬し続けた結果家系の女性同士でも嫉妬し合うような家系がある。だからこそそれぞれに母への距離感があってそれぞれの悲しさがある。ただ、同時に死ぬまでに暇な瞬間もあって、ある程度死に対して誠実に振る舞うけどそうできない瞬間もあったりする。この悲しさと暇さとか、死への建前と本音の違いみたいなものが同時に感情として存在するような時間感覚、母が死んでやっと静かにドラマ化するこの映画自体の構成含めて非常にリアルな映画だと思った。
母が身体的に動けないことが、その家系の女性の家庭での閉塞感・動けなさ、そして家系で同じ家庭が再生産されていくその抜け出せなさと対応する。その繰り返される牢獄のようなモチーフはこの監督の以降の作品にも通底するもののように思う。
感想 / レビュー / その他
この幽霊みたいなカメラワークどっかで見たと思ったらアルフォンソキュアロンの『ローマ』だった。ほとんど動かないし動いたとしても血の通ってないような動き。
関連する作品
モーリス・ピアラによる『Graduate First』について。この映画でのモラトリアムが母が死んでいくまでの時間と対応し、そしてその母含めた女性達の家庭での動けなさ、そしてその家庭環境が受け継がれ再生産されることが若者の地方の閉塞感と世代が変わってもそれが再生産されることと対応しているように思う。
モーリス・ピアラによる『Loulou』について。ここでの反復される牢獄としてはこの映画での人を変えても再生産される恋愛、その性格による出口のなさと対応しているように感じる。