アニエス・ヴァルダ『冬の旅』空洞の街


アニエス・ヴァルダ監督による1985年作『冬の旅』について。

街から排除される主人公

冬のビーチが砂漠のように映され、「彼女は海から現れたように見える」というナレーションと共に主人公が海に現れる。主人公は秘書として仕事をしていた自分を捨てて放浪の旅に出ていると言うが、本当かどうかはわからない。

夏の間はヴァカンスで賑わう街が舞台となっているが、季節は冬である。ヴァカンス地で冬も暮らしている人々は逃避先がない、つまり同じ場所で同じ生活を続けるしかない人々である。そのような街の人々として、トルコ系移民や元ヒッピーの夫婦、ガソリンスタンドの労働者、冷め切った仲の夫婦やカップルが登場する。主人公と出会う街の人々はその主人公の自由に移動する生き方に対して憧れる一方で、自身の定住的な生活を守るように拒絶する。自分たちのできないその生き方に対して、自分たちの生き方を正当化する。

人のいないルネサンスの聖堂や空き部屋しかないホテルや別荘が象徴的に映される。ただ、それらは住む場所のない主人公には提供されない。街の人々は主人公に場所や仕事を提供するが、その人々の定住的な生き方と主人公の生き方の違いから、主人公が出て行く、主人公を自分たちの生活の場所から隔離する、追い出すという結果になる。

主人公は定住的な生活を拒絶する一方で、街の人々は自由な生き方をする主人公を自分達から締め出していく。主人公はいわば社会の外にいる存在であり、映画を通して主人公は段々と行き場をなくして行く。そして、街から排除された主人公はホームレスの人々と合流し、最後は自分のテントすら失いゴミのように溝に落ちて死ぬ。

木の疫病

この映画の軸として、アメリカ軍が持ってきた来た菌により引き起こされる木の疫病があり、その菌は気づかない間に街の木を侵食していっていたというエピソードが置かれている。海から現れた主人公、その生き方や考え方がその菌と対応しており、空虚な変化のない日々を送りながらも移動することのできない街の人々は未だその菌に触れていない木々である。

街の人々は主人公と交わることで、その菌に侵食される。それによって、自身の生活の空虚さ(菌により木に発生した空洞)に気づくようになる。街の人々はその疫病から自分たちを守ろうとする。そのために、感染した木ごと切り倒すように主人公を排除していく。終盤主人公と交流するホームレスの人々もまた、街の人々が自身を守るために街から排除した存在であり、元ヒッピーの夫婦も過去の自分達の生き方を排除して今の生活を成り立たせている。

菌は今の社会を脅かす存在であり、排除される存在である。そのため、主人公はその自身の生き方を排除しない限り街で生きていくことはできない。主人公はどこにでも行けるが、行き着いた場所で生きることはできない。

主人公と共に横移動するショットが繰り返されるが、そのショットは主人公を追い越し最後は労働の道具などを映すようになる。それは、主人公が自身の生き方を捨ててその街に囚われることでしか生きていくことができないことを象徴するように見える。そして、何度も差し込まれる人の気配の無い建物への定点のショットは、排除を繰り返す街、そしてその街の人々が抱える空虚な感覚を象徴するように感じられる。この映画におけるカメラは、街に漂う空虚さと共にあるような感覚がある。

作品詳細

  • 監督:アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)
  • 作品:冬の旅(Sans toit ni loi / Vagabond)
  • 製作:フランス 1985年