ホウ・シャオシェン『童年往事 / 時の流れ』映画として主観化される記憶 / 感情


ホウ・シャオシェン監督による1985年作『童年往事 / 時の流れ』について。

時の流れによる家族の変容・思春期の終わり

文字通り時の流れが収められたような映画で、その時の流れに伴い社会が変容し、その影響を受けつつ主人公の家庭も変容していく。そして、主人公自身も変容していく。

社会の変化として、日本の支配からの解放、蒋介石の元での発展、共産主義の勃興含めた台湾の情勢の変化がある。家庭は姉と母、祖母を中心とした大家族となっているが、段々と男4人がただ集まっているだけのようなものへと変容していく。そして、その家族が決定的に変容してしまった結果として祖母の放置された死がある。思春期である主人公は家庭とその外の間で揺らぐが、その家庭の変容と並行にその揺らぎもなくなる。それは思春期の終わりを意味する。

時の流れと共に変化していく社会を背景として、一つの家族の形、そして主人公の思春期が終わっていく映画となっている。

受け渡されていく記憶 / 感情

登場人物それぞれのその目線の先に何があり、それをどういう感情で見てるのかが伝わってくる、その登場人物の主観に没入させられるような感覚がある。それによって、観客自身があたかもそこにいてその時の流れを見ているような感覚にさせられる。

その主観化される登場人物の感情の中でも特に、両親が抱えている家族に対する後悔や諦念、一方で今を否定していないような感覚。大陸に帰っておけばよかった、あの人達を連れてこればよかった、あの子をちゃんと育ててやれれば、結婚する相手はあの人にすればよかったなど。その感覚が映画のトーンとなっている。

そして、この映画の語り手は、この物語からより年齢を重ねこの記憶を思い出している主人公である。映画を見ている観客はこの回想している主人公と一致する。そして、さらに自分達の過去を語る両親の主観と、自身の過去を語るこの主人公による映画全体の主観が一致する。それによって、少年だった主人公が今は両親と同じように、後悔や諦念を感じながらも、ある種肯定的するような形で自身の過去を振り返っているように見える。両親の過去への主観が主人公に、そして主人公の過去への主観が観客へと受け渡されていく。

感想 / レビュー / その他

この映画に出てくる当時の日本家屋は一階建てであり、縁側があるために床が地面から少し上にある形になっている。その日本家屋の特徴を活かしきった構図となっている。その構図の美しさを含めて、美しさに目がいかないような美しさに溢れた映画であり、その中にふと現れる淡い光、風などのニュアンスなど、はっとするような瞬間が差し込まれているように感じた。

家庭のあの複数人が同時にそれぞれのことをしてるような慌ただしさ、母親の家庭を支える人としてのエネルギーが段々と落ちてくる感覚。家事が会話の場と機能していたところから、それがただの作業となり、家事が会話の場ではなくなっていく感覚など、年月による家庭の変化の捉え方が非常に繊細で自然なものとなっているように感じた。

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同じ監督の作品であり、主人公の主観が映画を見る観客のものと一致していること、主人公の思春期が終わっていく話であるという点で共通する話。ホウ・シャオシェンにとっても、自身の映画の主人公と同じように全てが映画のように見えていたのかもしれない。

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風櫃(フンクイ)の少年』 『童年往事 / 時の流れ』『冬冬の夏休み』に通底する何かを見る=映画を見るとなる主観に関してはこちらでまとめています。

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同じく時の流れによる社会の変容、それによる主人公の価値観の変容が思春期における変容と一致する映画として。

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この映画は長い時間を捉えた映画だが、それに対してウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』は瞬間を捉えた映画。

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https://asianmoviepulse.com/2020/12/film-review-a-time-to-live-and-a-time-to-die-1985-by-hou-hsiao-hsien/