カルポ・ゴディナ『アイ・ミス・ソニア・へニー』監督達はどのようにソニア・へニーを撮ったか

カルポ・ゴディナ(Karpo Acimovic-Godina)監督による『アイ・ミス・ソニア・へニー(I miss Sonja Henie)』(1971年 ユーゴスラビア) について。

カルポ・ゴディナが何人かのディレクターに「I miss Sonja Henie」というフレーズを含んでいる短編を、全員共通のアングル、ロケーション(画面の下半分を占めるベッドのある部屋、左側に玄関の見える廊下、右側にキッチンに続く窓)で3分以下という制約で撮らせて、それを繋ぎ合わせたもの。若い頃のフレデリック・ワイズマンも参加している。

「I miss Sonja Henie」は Peanuts のセリフからとられたもので、ソニア・ヘニーはノルウェー出身のフィギュアスケートの世界チャンピオンであり、映画スターでもあった人物だが、ナチスとのパイプを持っていた(そのためナチスのノルウェー侵攻時に敷地をドイツ軍に奪われなかった)ことで、戦後はナチスの協力者の烙印を押されオリンピックに招待されないなど、殆どキャンセルされたような状態になっていた人物でもあるらしい。

元のコミックでのスヌーピーのセリフは「I miss skating with Sonja Henie」であり、これはソニア・ヘニーの死(1969年)の前に発表されたもの(1967年発表)であることから、孤独にスケートを滑るスヌーピーの、ソニア・ヘニーとスケートができた時代、彼女が映画スターになる前、ナチス・大戦前の時代への郷愁のようなものを含んでいるように感じられる。

http://peanuts.wikia.com/wiki/December_1967_comic_strips

さらに、この続きの作品はスヌーピーの「そもそもビーグル犬はオリンピックに招待ないんだった」というセリフで終わる。これはビーグル犬=ナチス的な存在として、ソニア・ヘニーの戦後置かれた状態と自身を重ね合わせたものだろう。

http://peanuts.wikia.com/wiki/December_1967_comic_strips

そして、この映画はソニア・ヘニーの死後に撮られたものである。「I miss Sonja Henie」というフレーズから派生して作られた作品群には、映画スターへの欲求、失われたものへの郷愁、没落したスター、戦争・ナチス、支配・暴力など、ソニア・ヘニーに対して持つ各監督のイメージが反映されている。この映画はぱっと見た感覚では下世話なコメディのように見えるが、ソニア・ヘニー、そしてその生きた時代へのトリビュートとなっている。各監督が重く思考しつつ短編を撮っていたことはカルポ・ゴディナの撮ったこの作品のメイキング映像からも伺える。

最初におかれるのは、ドゥシャン・マカヴェイエフ(Dusan Makavejev)の短編であり、カメラを凝視する形で目を動かすことも口を開くことも、首を動かすことも禁じられた男女が、それでもキスをしようと舌を絡ませあおうとするような短編であり、クローズアップで映される歪んだ顔で舌を絡ませ合う二人は滑稽であると同時にエロティックにも見えるが、背景には支配、暴力が感じられる作品でもある。二人の姿は、ナチスの行進のように全員が均一にあること、もしくはスターとしての振る舞いを強制され、個人としての感情や欲求が抑圧された姿のようにも見える。そしてこの作品では役者に指示を出す監督の声が入り込んでおり、役者に動きを強制する人物=監督の存在が明示されることで、男女二人への行動の強制がメタ的に言及される。

フレデリック・ワイズマン(Frederick Wiseman)の作品は、ソニア・ヘニーを懐かしむ二人の男女が、思い出に浸りながら、死ぬ前のソニア・ヘニーの姿を演じるというものだ。そこで、男が演じるソニア・ヘニーはベッドに寝転びつつも富裕層のものであろう帽子を身につけており、女が演じる小間使いが毎朝ステーキを運んでいる。それはきっとキャンセルされつつも死の前まで富裕層として生きたソニア・ヘニーを象徴するものなんだろうと感じる。ただし、その映像から発される雰囲気は非常に親密で感傷的なものとなっている。

ティント・ブラス(Tinto Brass)の作品で描かれるのは、「I miss Sonja Henie」というセリフと共に発作のようにセックス、排便、食事への耐えられない欲求を発症する男女である。ここでは、ソニア・へニーに対して大衆が抱く欲求が本能的で暴力的な欲求としておかれている。これは欲望されキャンセルされたソニア・へニーに紐づくイメージ、それに対する大衆の暴力的な姿勢を表したもののように見える。

バック・ヘンリー(Buck Henry)とミロス・フォアマン(Milos Forman)の作品は元となった Peanuts のコミックと非常に近い内容をもつもので、『ジョニーは戦場へ行った』のパロディとなっている。『ジョニーは戦場へ行った』と同じく性器以外の全ての感覚器官、四肢を失ったジョニーが何かを伝えようとしていることに気づいた医師が、女性の裸を見せてジョニーの性器を勃起させ、そこにペンをつけて伝えたいことを書かせるというものだ。そこに書かれるのは「I miss Sonja Henie」である。これはジョニーにとっては元となったスヌーピーのセリフと同じく、戦争以前の時代を欲望した切実な言葉のはずだが、それを汲み取れない医師達はその言葉のしょうもなさに呆れて去っていく。

これら作品はカルポ・ゴディナによって断片化され組み合わされる。それによって、映画全体としてはソニア・へニーに紐づく様々なイメージが現れていく形となっている。そして、最後はソニア・へニーが出演した映画の引用、ソニア・へニーが美しく踊る姿が差し込まれ、映画を通して現れた様々な文脈がソニア・へニーの美しさ、そしてその裏にある時代、人生へと収束してこの映画は終わる。