キロ・ルッソ『大いなる運動』生き物としての都市

キロ・ルッソによる2021年作『大いなる運動』について。

あらすじ

標高3,600メートルに位置するボリビアの首都ラパス。1週間をかけてこの街にやって来た若い鉱山夫が謎の病に冒される。薬草や呪いで青年を癒そうとする医者たち。青年の悪夢は都市と混濁し、観客もその超自然的な意識に幻惑される。

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大いなる運動としての都市

仕事を見つけるため、鉱山労働者の失業デモと共に7日間歩き続けラパスに到着したエルダー達。しかし、エルダーは鉱山で働いていた時に粉塵を大量に吸い込んでいたのが原因か、高度の高いラパスの気候、気圧により肺病の様な状態となる。エルダーは坂を登ることがまず困難になり、仕事である市場での食物の運搬もまともにこなすことができない。運搬はラパスで唯一得ることのできる仕事であり、アンデス山脈に位置するラパスにおいて基本的な移動は上下動である。つまり、エルダーは到着時点からラパスで生きていくことが根本的にできない状態である。それは、ラパスがエドガーを拒絶しているようにも、エドガーの身体がラパスを拒絶しているようにも見える。エドガーはラパスという都市と相容れない存在となっている。

そして、エドガーに対して二人の医師が登場する。一人は現代医学に基礎を置く病院の医師であり、もう一人は山で暮らしそこで作った薬草を人々に与えるマックスである。マックスはラパスの先住民のような存在であるが、都市に流入してきた人々からすれば近代化から遅れた存在である。マックスの処置を受けるのはエドガーの名付け親を含め、老人ばかりである。病院の医師はエドガーの病気の原因を心理的なもの、ストレスによるものだと推測する。それに対して、マックスは占いによってエドガーにラパスを崩壊させる悪魔がついてしまったと判断する。病院によっても症状が回復しなかったエドガーはマックスによる悪魔祓いの儀式を受けることとなる。

ここで、マックスには聳え立つ山、建物、山からの登り降りなど、明確に縦向きの構図、上下の動きが当てられている。それに対して、冒頭のラパスを移した印象的なショット群は全て横向きの構図によるものだ。そして、山に元から住んでいただろうマックスに対して対比される流入してきた人々の動きは、金銭と野菜の受け渡し、ベルトコンベアによる挽肉や金属の生産など、全て横向きの運動となっている。マックスの住む場所、つまりアンデス山脈の一部、自然としてのラパスは、エドガー達を含む新しく流入してきた、そしてこれからも流入し続けるだろう人々、それと共に流れ込んできた市場原理、工場生産によって狭められていることが、マックスの暮らす山を映すショットに必ず住居やビルが入り込むことによって実感させられる。また、マックスの住む山はロープウェイによって都市と繋げられており、ヘリコプターの音が響き渡っている。

マックスの恐れるラパスを崩壊させる悪魔は、ラパスに流入してきた都市、そこにさらに流入してくる人を含めた近代的な全てである。エドガーは名付け親がマックスと親しいように、いわば都市としてのラパスよりもマックスの住む自然としてのラパスに近い存在である。それはマックスがエドガーを白い野犬に幻視するシーンでも明らかだ。だからこそ、エドガーは都市としてのラパスに適合できず、それを体内に悪魔として宿してしまう。名付け親の友人が都市に殺されたと語られていることからも、マックスや名付け親に近い人々が都市と相容れない存在、排除される存在であることがわかる。

冒頭のラパスを映したショットに象徴されるように、都市としてのラパスはこの映画ではまるで不気味な生き物のように映される。(ここで、歪曲したガラスへの反射により車の直線移動が不気味な動きとなるショットは、同じく不気味な都市の変容を捉えたツァイ・ミンリャン『The Skywalk Is Gone』と共通する) マックス含めた自然としてのラパスに生きる人々もまた、別個の生き物として不気味なオーラを纏って捉えられる。それに対して、都市に住む人々は非常に淡白で均一的に撮られる。無機物であるはずの都市が生き物のように撮られるのに対して、そこに生きる人々は無機物のように撮られている。

そしてクライマックス、カメラはエドガーの口を通して侵入し、そこに巣食う悪魔を映し出す。そこで映されるのは高速でモンタージュされた機械のように、金銭のやり取り、歩行、運搬など、同じ横移動を繰り返す都市の人々の姿だ。都市に住む人々とその活動は都市という悪魔のような生き物を構成する仕組みのようになってしまっている。タイトルの大いなる運動とは、人々が織りなす横移動、それを総体とした都市の生き物のような運動を指すのだろう。

ロバート・J・フラハティに『Twenty-Four-Dollar Island』という、24ドル相当の物物交換で得られた土地が今のニューヨークとして大都市となったという内容の、ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』やヴァルター・ルットマン『伯林』、ヨリス・イヴェンス『雨』と同じくcity-symphonyというドキュメンタリーとフィクションの中間のようなジャンルに分類される短編がある。この短編では、24ドル規模しかなかったものが今の大都市であるニューヨークへとむくむくと育ったかのように、都市が一つの生き物のように撮られている。『大いなる運動』における都市の不気味な映像的感触は、前述のツァイ・ミンリャンだけでなくこの作品とも非常に近いものとなっている。

作品詳細

  • 監督:キロ・ルッソ(Kiro Russo)
  • 作品:大いなる運動(The Great Movement)
  • 製作:2021年 ボリビア・カタール・フランス・スイス・イギリス