クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年の短編『異なる年齢の7人の女性』について。
反転図形としての映画
短編の中で1週間の時間が流れ、曜日ごとに7人の異なる年齢の女性が映される。女性は全てバレリーナであり、指導される子供に始まり、バレリーナとして舞台で活躍してる女性、年齢を重ね他の若いバレリーナに追い抜かれる女性、老いて子供の指導者に回った女性という形で、曜日が変わるごとに人生のフェーズが上がっていく形で構成されている。
それによって、多数の女性から構成された短編であると同時に、1人のバレリーナとしての人生の始まりから終わりまでを描いたようにも見える。7人の女性の肖像としてみれば実際に存在する具体的な一人の話であり、同時に1人の話としてみれば普遍的なバレリーナの女性の話となる。
7人の女性についてだと思えば、それぞれに我々と同じ時間軸での人生が存在することになり、それぞれのその後の人生を想像することも可能になる。それに対して、1人の女性についてだと思えば1週間で成長し老いていくという刹那的な時間軸となる。その女性の人生はその時間軸の中、そしてこの映画の中に閉じられる。見方を変えることによって、時間の射程、そして想像力への開かれ方が大きく変化する。
1週間という設定、そして指導される側から始まり、指導する側で終わることから、次の週にもその次の週にもまた同じことが繰り返されていくような、永遠にループされていくような感覚がある。一方で、これは一人がバレリーナとして成長し老いていく一回性の話でもある。それによって、ここで描かれていることが永遠のものであるような感覚と1回きりのものであるような感覚が二重で存在する。
さらに、カメラもその映画としての円環構造に対応している。子供の頃は他の子供たちと共に指導されている多数の1人として撮られており、段々と女性がカメラの中心に位置するようになる。そして、活躍している時にはカメラも女性にシンクロし躍動し始める。そして、段々とまたカメラが女性から離れていき、女性を再び多数のうちの1人として映すようになる。そして、それはバレリーナが人生の主役へとなっていく過程、そしてそこからまた降りていく過程となっている。
感想 / レビュー / その他
見方によってどちらにも見えるような、真逆の状態が同時に存在する映画となっている。そこに捉え方によって変わる人生の二重性のようなものを感じて非常に感動した。16分に人生の全てがあるような感覚がある。