ロベール・ブレッソン『少女ムシェット』鳥としての少女


ロベール・ブレッソン監督による1967年作『少女ムシェット』について。

鳥としての少女

冒頭の鳥と同様に、ムシェットは地べたでの生活をしており、どこに行っても罠がある。その中で、物理的にも雨に打たれて泥まみれになるのが描写されていく。母親の死と強姦によって周囲からも疎外され、完全に罠にかかった状態になる。

最後の入水シーンにおいて、ムシェットは映らずに抱えてた死装束と水飛沫だけが映る。鳥と同じくその地べたでの生活から飛び立っていったような、ある種自由になったような印象を残して終わる。

『バルタザールどこへ行く』におけるロバとマリーが一体化したような存在がムシェットであり、喜劇的な雰囲気や前日譚などの付加的な情報を全て落としたようなものになっている。

何が本当かわからないような酔っ払いとの一夜の後、死んだはずだった男が現れた時のあの異常さの後に現れる日常的な新鮮さと異様さ。

最小限の語りながらもその行間に凄まじい量の何かがあり、映像も同様に最小限かつオーラがある。凄まじいものを見たという印象が残った一方で、個人的には『バルタザールどこへ行く』の安易さや滑稽さが共存した、人を食ったような独特な感覚の方に魅力を感じた。

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前作である『バルタザールどこへ行く』について。この映画でのロバであるバルタザールと主人公であるマリーがムシェットに引き継がれているように感じる。

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