『ストレンジャー・シングス』 における群衆化への抵抗


『ストレンジャー・シングス』は主人公達をテンプレ的な人物像から解放するドラマであり、それが大きな魅力となっている。そして、主人公達と対置されるソ連、研究所、そしてS4で登場した陰謀論者達は全体主義的な構造によって共通する。そして、アップサイドダウンの支配者もマインドコントロールによって人々を同質化し支配しようとする。ストレンジャーシングスはそのような人々の群衆化、それに対する全体主義的な支配に対して抵抗するドラマとなっているのではないか。

※ ストレンジャーシングスS4、ブレーキングバッドのネタバレを含んでいます。

対置される全体主義

あるきっかけから世界の裏側(アップサイドダウン)が存在することに気づいた主人公達がそれぞれの動機の元行動した結果、異なるコミュニティにいた者同士が互いに連帯し最終的に全員が合流するという話を3シーズンかけて繰り返してきたシリーズであり、遂にこのシーズンではその写し鏡のような存在として陰謀論者が登場する。その主人公達と陰謀論者達を隔てるのは対象への知識や科学的な考え方、自分にとって異質なものや人を受け入れるかどうかのように感じる。

そう思えば、ソ連の人々も、エルを生み出した研究所の人々も主人公達の誰かを救うという目的や対等な関係性を反転させたものであり、同じく主人公達に対する写し鏡のような存在となっているように感じる。これらの組織では主人公達の利他的な行動原理が利己的なものに、対等な関係がトップダウンの関係性へと反転させられてる。陰謀論者、ソ連、研究所など、主人公達の敵として対置されるのは全体主義的な構造を持った組織である。

そして、そのアップサイドダウンもその世界全体が1人の意思によって操られているという全体主義的な支配構造を持っている。そして、その支配者であるヴェクナが行うのはマインドコントロールであり、人々を同質な存在へと変えて行くことで世界全体を支配しようとする。

インターネットとハイブマインド

そのアップサイドダウンに住む生き物はハイブマインドという一つのネットワークを共有しており、全体で一つの個のような存在となっている。ヴェクナはそれを操る能力を持つからこそ、アップサイドダウンの支配者となっている。

ハイブマインドという全員がネットワークによって繋がる仕組みは、このシーズンで遂に登場するインターネット、その先にあるSNSと重ね合わされる。それによって、ヴェクナのマインドコントールによる人々を同質化した上での支配は、インターネットやSNSを通した大衆のコントロールに対する比喩となる。

ヴェクナはまずネットワークを辿りコントロールされやすい人を探し出しそこから支配を始める。その支配はネットワークを通してクラスター的に拡散するものとなっている。まだ楽観的に描かれているインターネットは、大衆をコントロールする方法として新たな全体主義を生み出していく。

群衆化への抵抗

個人という概念が生まれたからこそ群衆という概念が生まれた。その群衆としての人々、同質化した人々に対する支配構造が全体主義であるとするなら、全体主義は個人という概念の発明の帰結として生まれたものとなる。

では個であることの裏返しとして存在する群衆化、その先にある全体主義的な支配に対してどう抵抗していくのか。その答えは登場人物それぞれに違う形で存在していて、ナンシーにとっては支配的な存在に向かって銃を撃つことであり、ダスティンにとってはウィアードのままでいること、スティーブにとっては頭を打ってそこから学んで変わることなんだろうと思う。

このシリーズにおける登場人物達は全員、ジョックスやナードなど映画的なテンプレとしての人物造形から始まり、関係性や出来事を経る中で段々とその枠組みから解放され一人の人間として描かれていく。その登場人物達が個へと変化していく過程、鑑賞者がその登場人物をカテゴライズによってではなく個として見るようになる過程は、群衆化への抵抗の過程と呼応している。

独裁者の視点

超能力者を生み出すために子供達を拉致し実験台として支配していた研究所の所長は『ブレーキング・バッド』のウォルター・ホワイトと重ね合わされる。所長の死における回転しながら宙へと浮かんでいくショットはウォルター・ホワイトの死におけるショットへのオマージュとなっている。

ウォルター・ホワイトは最初は家族のために麻薬(メス)製造へと身を染めるが、最終的にはそれを自分のために行うようになる。そして、フィナーレではそれを認め、自己満足の中で死んでいく。それに対して、研究所の所長はそれが自分のためであったにも関わらず、自身の研究とそれに伴う子供達の支配が世界や子供達のためであると言い続け、最後まで自分の認知の歪みを認めない。その実験体であり子供であるエルはその独裁者である所長を拒絶する。

研究所という全体主義はここでエルによって乗り越えられる。そして、次に待つのはその所長のもう一人の子供としてのヴェクナという独裁者となっている。ソ連における独裁者はまだ描かれていないが、シーズン5で登場してくるように思う。

その他

所長がウォルター・ホワイトならその所長が愛情を注いでいたエルはメスであるということになる。そのエルがドラッグ漬けの二人と合流していたのを考えれば、次のシーズンで何かしらアメリカを象徴するものとして麻薬の比喩が本筋に関わってくるのかもしれない。

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