一つ目の断片は何か ー オタール・イオセリアーニ『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』


オタール・イオセリアーニ(Otar Iosseliani)監督による1982年作『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片(Lettre d'un cineaste - Sept pieces pour cinema noir et blanc)』について。

一つ目の断片は何か

パリの都市生活を映した映像に『四月』のようにアフレコで音が重ねられている。タイトルに7つの断片とあるが、6つの断章で構成されている。2つ目の断章から始まり、6つ目の後、1つめの始まりを示すショットで終わる。そして、提示された1という数字は横に傾けられ、−となっている。

内容としては当時のパリの都市生活を割と直接的に批判したようなものになっている。映されるのは人々が身支度し、移動し、食事する姿となっている。服を着せられた犬、首輪によって自由に動けない犬の映像が何度も差し込まれるが、それはパリの人々と犬を重ね合わせているからだろう。そして、食事のシーンでは肉食獣の鳴き声が重ねられ、犬の映像の後にファーコートを着た人間が映される。それは、消費社会における暴力的な欲求を皮肉ったものであると同時に、犬と人間が重ねられているために、人間が人間を殺しているということを示唆しているように感じる。殺し合いというモチーフは競争社会とも重ねられ、オフィスでの競争が銃による決闘として表現される。

特に印象的なのが、家を出てベンチに座るお爺さんの映像で、家で身支度をする映像に銃声とレコードの音楽がアフレコされている。お爺さんが家を出て扉を閉めると、レコードの音だけが消える。レコードの音は家の中でなっていたものであり、銃声はお爺さんの脳内で鳴っていたことがわかる。そして、お爺さんが人々によって隠され、窓の破壊される音共に消える。彼が戦争のトラウマを抱えているようにも、戦死した亡霊であるようにも、そもそも街が戦争状態にあるようにも見える。街に見えない形で残る戦争が焼き付けられた映像のように感じられる。

イオセリアーニは様々な人々が共存していた社会が、システムによって分断される様を描いてきた監督のように思う。だから、1つ目の断章は共存が可能だったシステム以前の映像を指していて、それが最後に置かれるのは、過去にあった共存がこの先また可能になることを望むからなんだろうと思う。彼の映画にはポリフォニーが共存のメタファーとしてよく登場する。ホームレスが歌う映像が最後におかれるが、過去の映像であり望む未来の映像でもある1つ目の断章はホームレス含めた様々な人々がポリフォニーを歌う映像ということなんだろうと思う。