ヌーヴェルヴァーグ前夜
ジョルジュ・フランジュ(Georges Franju)による1961年作『殺人者にスポットライト(Pleins Feux sur l'Assassin)』について。 死期を迎えた古城に孤独に暮らす伯爵は、オルゴール付きの人形と共に鏡の裏に隠された部屋に入って死ぬ。鏡の裏の部屋の存在は…
サッシャ・ギトリ(Sacha Guitry)による1951年作『毒薬/我慢ならない女(La Poison)』について。 スタッフロールの代わりにサッシャ・ギトリが全員の名前を呼びながら俳優やスタッフに感謝してる映像が冒頭に差し込まれており、それによってこれが作られ…
ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1949年作『白い足(Pattes blanches)』について。 ブレッソンのキャリア初期と同じ時期にカール・TH・ドライヤーやこの監督の後期の映画があるということにすごく納得感がある。冒頭の空に左下にさがるように広…
ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1938年作『不思議なヴィクトル氏(L'étrange Monsieur Victor)』について。 ヴィクトルがコメディアンととして登場するが、画面は何かぼやけて閉塞感に満ちている。そこに、殺人のニュースと明らかに異様な雰囲…
ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1941年作『曳き船(REMORQUES)』について。 幸福に満ちた船員の結婚式を映すカメラは、ぐるぐると忙しなく回るように移動し続ける。カットも不安定に切り替わり続ける。カメラの移動はなぜか上下に弧を描くよう…
マックス・オフュルス(Max Ophüls)による1934年作『永遠のガビー(Everybody's Woman)』について。 『魅せられて』『忘れじの面影』に共通する、どこにもいけない人物とどこにでもいける人物という対比がこの映画にも存在しており、今回は父親によって家…
マックス・オフュルス(Max Ophuls)による1948年作『忘れじの面影(Letter from an Unknown Woman)』について。 シュテファン・ツヴァイクの同名小説を原作とした映画。原作において、手紙を読む男は R. という名前で小説家という設定だが、この映画ではピ…
ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1936年作『ランジュ氏の犯罪(Le crime de Monsieur Lange)』について。 出版業界の大物バタラは詐欺のような方法で人々から金を巻き上げている。バタラはフリッツ・ラングにとってのドクトル・マブゼのような、悪…
ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1945年作『南部の人(The Southerner)』について。 精神性を抜かれたフロンティアスピリット 「こいつら嫌いだわー!」って思いながら嫌々撮ってる感が映像から溢れ出してるように感じたけど、どうなんだろう。映画…
ジャン・ルノワール(Jean Renoir)による1946年作『浜辺の女(The Woman on the Beach)』について。 イメージと現実の狭間で 元海軍である主人公は魚雷で船を破壊される夢を見続けている。翻訳では省略されていたが、海沿いの町の警備隊員である主人公は自…
ジャック・ベッケル(Jacques Becker)による1945年作『偽れる装い(Falbalas)』について。 装うことと映画監督 ファッションデザイナーであるフィリップは彼にとってのミューズを探し続けている。ミューズと見做した女性を見る時、フィリップは現実世界の…
ジャック・ベッケル(Jacques Becker)による1953年作『エストラパード街(Rue de l'Estrapade)』について。 『エドワールとキャロリーヌ』との比較 話の骨格や緩いリズム感含めて『エドワールとキャロリーヌ』とほとんど同じ映画。『エドワールとキャロリ…
ジャック・ベッケル(Jacques Becker)による1951年作『エドワールとキャロリーヌ(Edward and Caroline)』について。 リズムのズレと断絶 上流階級出身のキャロリーヌと貧しいピアニストのエドワールは仲が良さそうに見えて、価値観が全く噛み合っていない…