死へと向かう西洋 ー マックス・オフュルス『忘れじの面影』


マックス・オフュルス(Max Ophuls)による1948年作『忘れじの面影(Letter from an Unknown Woman)』について。

シュテファン・ツヴァイクの同名小説を原作とした映画。原作において、手紙を読む男は R. という名前で小説家という設定だが、この映画ではピアニストとなっていて、名前もシュテファンへと変えられている。シュテファン・ツヴァイクは、この映画のシュテファンと同じくウィーンを拠点としながら文化人としてヨーロッパの国々を転々とする生活を送っていて、『昨日の世界』という、幸福だった時代を描いた回想録を書き、1942年にヨーロッパの進む先に絶望し自殺したと言われている。『グランド・ブダペスト・ホテル』の発想元には『昨日の世界』があり、ヨーロッパ各国の文化人とのネットワークを持つホテルのオーナーはシュテファン・ツヴァイクがモデルになっているらしい。そして、そのホテルは戦争の訪れによって廃墟になる。この映画は、シュテファン・ツヴァイクが自殺し、第二次世界大戦が終わった後に撮られたものとなっている。シュテファン・ツヴァイクはヨーロッパの様々な国の人々と交流し、ヨーロッパの幸福な時代を生き、その国々が孤立していき、衰退していくと共に自殺した人物と言えるのかもしれない。だから、この映画のシュテファンはシュテファン・ツヴァイクであり、衰退していくウィーン、ヨーロッパの比喩にもなっている。そして、シュテファンが弾き、ウィーンで愛されているクラシックは他の人々から聴かれなくなっていく。

シュテファンは、若くから才能を認められたピアニストで、ウィーンを拠点としつつヨーロッパ各国を転々としている。そして、出会った女性誰に対しても同じ言葉で口説き、同じデートコースを辿り、同じ花を渡しているように見える。いわば、シュテファンは機械のように繰り返しの日々を送っている。深く人と付き合うことをせず、多くの人々と出会っているのに孤独な人物となっている。リザは、幼い頃にシュテファンを運命の人だと思い込み、一方的にその人生を捧げる。ヨーロッパ各地を飛び回るシュテファンに対して、リザはシュテファンとの偶然の出会いを期待するためウィーンから出ることができない。リザとシュテファンは遂に出会い関係を結ぶが、リザにとってシュテファンは特別な人物だが、シュテファンにとっては匿名の女性達のうちの一人に過ぎない。そして十年近く後に二人は再会する。シュテファンは落ちぶれていて、以前のように出会った女性に声をかけているが、それはナンパというよりは、助けを乞うようなものになっている。リザは夫を捨ててシュテファンの元へ飛び込もうとするが、シュテファンがリザのことを全く覚えていないことに気づき、去る。シュテファンに出会うために一時的に子供を送った電車でリザは腸チフスに感染し、子供と共に死ぬ。

冒頭、シュテファンが申し込まれた決闘を無視しようとしている。しかし、リザからのその人生を綴った手紙を読むことで、リザとの最初のデートが幸福な記憶として思い出される。シュテファンの部屋の前の階段は、リザしか登れないものとして置かれている。1度目の出会いではその階段を二人で上がり、2度目でリザはシュテファンを求めてその階段を上がり、シュテファンの元を去る時はその階段を降りる。その階段は幸福なシーンにおいても、その後の運命を予感するように暗くおどろおどろしいオーラを持って撮られる。そして、決闘相手はその階段を使ってシュテファンの元へ上がってくる。その反復によって、決闘相手が死を運んできたように、そしてそれは死んだリザが再びシュテファンの元に会いに来たように見える。シュテファンは、リザに会いに行くように、もしくはその空虚で落ちぶれた繰り返しの日々を終わらすように、階段を降りて死の待つ決闘場所に向かう。

時代は1900年頃としか示されないが、腸チフスが流行していたのが戦間〜第二次世界大戦終了後あたりらしいので、結婚したリザがシュテファンに再開するパート、そしてシュテファンがリザの手紙を読むパートは第二次世界大戦に向かっていく時期にある。シュテファンがヨーロッパを比喩しているならば、決闘は戦争の比喩となる。シュテファンは初め、決闘を無視しようとするが、手紙を読んだことで決闘に向かうようになる。昔は幸福だったという事実に気づくことで、死に向かうようになる。戦争が逃避的な自殺行為のようにおかれる。