戦場と生 ー ジャン・グレミヨン『曳き船』


ジャン・グレミヨン(Jean Grémillon)による1941年作『曳き船(REMORQUES)』について。

幸福に満ちた船員の結婚式を映すカメラは、ぐるぐると忙しなく回るように移動し続ける。カットも不安定に切り替わり続ける。カメラの移動はなぜか上下に弧を描くように行われる。光に満ちた結婚式のシーンから突如、暗闇の一本道を走り抜けるバイクのショットに切り替わる。音響としても、話し声がホワイトノイズのように心地よく響いていたところを、ジャーっという何か異様な走行音が切り裂くように響く。バイクの到着と共に式場に嵐が訪れ、その嫌な予感からシームレスに、結婚式に出ていた船員達は嵐に巻き込まれた船の救助に向かう。嵐の訪れた外は式場と対比的に暗く、雨と蒸気で画面は煤けたようになっている。結婚式での不安定なカメラの動きが、嵐による船の揺れへと転化する。あたかも平和な日常の中突如敵襲が始まったように、幸福そうに過ごしていた船員達が、気づけば戦場のような嵐の中死の予感に苛まれている。緊迫した空気の中で怒鳴り合いながら機械を死物狂いで操作する姿もまた戦争に重なる。帰りの船内もまた戦争映画の病院のようになっており、新郎が嵐の中指を失ったことが明らかになる。それはおそらく、結婚指輪と関連づけられている。撮り方だけでなく、この映画の公開時期としても、映画内で二度くることからも、この映画において嵐は戦争の暗喩となっているように感じられる。船の救助を目的とする曳き船で働く船員達は、常に命の危機に晒されている。その所属する会社はいつでも船員達をクビにすることができるため、生活も不安定となる。さらに、地上に妻を残す(「船乗りには妻と海という、二人の女性がいる」)ため、結婚生活もまた不安定となる。冒頭の謎に不安定なカメラの動きが、曳き船で働く船員達の不安定さを象徴していたことが明らかになっていく。

それに対して、船長であるアンドレ(ジャン・ギャバン)は死をもたらすはずの嵐の中でこそ生を感じることができる存在となっている。そして会社からの評価も良く、「新しく強いものが好き」で新型のオランダ船に興味を持つ。ここで、新型のオランダ船は曳き船を管理している会社、そしてアンドレ達によって救助された成金のようなビジネスマンと共に、資本主義的な価値観を象徴するモチーフの一つとなっている。アンドレは登場時点では競争社会、そして戦場である嵐の中で生きることに喜びを感じる存在である。一方で彼は遭難しそうな乗客、自身の船員のために働くという正義感も持っており、それによって乗客よりも利益を優先するビジネスマン、会社の取締役とも相対する存在にもなっている。競争・戦場に惹かれつつも、それを支配する経済的な価値観には相容れない、狭間におかれた存在となっている。アンドレはその二人との遭遇を通してその競争から引退することを決めるが、自分が辞職すれば船が売られ、船員全員がクビになることが取締役によって伝えられる。

アンドレの妻(マドレーヌ・ルノー)は、心臓の病気を抱えており、それをアンドレには伝えていない。その悪化のきっかけは、アンドレが海で死んでしまう、自分よりも海を選んでしまうなど、その不在による、アンドレが自分の元からいなくなってしまうのではないかという不安となっている。いわば、アンドレが海へと惹かれるほど、つまり生に近づくほど、妻は死へと近づいていく。妻はアンドレが仕事を引退し、二人で静かに過ごすことを望む。アンドレは経済的原理による理不尽に耐えつつも船員の生活を守り、嵐の中生き続けることと、引退し妻と静かに生活することの間で葛藤する。妻と暮らすはずの家は海が一望できる場所にあり、そこから海を見つめるアンドレは嵐への郷愁を感じているように見える。

二人目の女性としてビジネスマンの妻だったカトリーヌ(ミシェル・モルガン)が、アンドレの元に現れる。カトリーヌは嵐によってアンドレの元に運ばれ、「ボートに乗って来てボートで帰る」というセリフから、嵐によってまた連れ去られていくことが示唆された存在となっている。アンドレにとってカトリーヌは郷愁を覚える嵐そのものであり、カトリーヌとの恋愛は妻と曳き船との間の選択からの逃避である。だからこそ、二人の逢瀬のシーンは現実から浮遊したように、幻想的に撮られている。しかし、カトリーヌは嵐と共に去る運命にあり、二人が結ばれた瞬間、嵐を予感させるように雨の音と共に雷が落ちる。そして、アンドレが嵐と共にあることは妻の死へと繋がる。カトリーヌが受話器を弧を描くようにして取り、それを映したカメラはその運動を引き継ぐように軽く弧を描きながら訪問者へとアングルを変える。それは冒頭の嵐を予感させるショットの反復であり、映された訪問者は妻が死につつあることを知らせる。そして、妻の死と同時に、救助に向かったオランダ船が嵐に耐えきれなかったことが伝えられる。嵐を望んだことが、アンドレから船と船員以外の全てを奪い、アンドレに船に乗ることを強制する。船に乗ることは、命よりも利益を優先するというアンドレが一度拒絶した価値観に従い、戦場に出続けることを意味する。そして、アンドレは死んだような顔で船に現れる。

競争社会、戦場でこそ生を感じていた男がそれによって挫折し、嵐の中ですら生を感じることができなくなるという映画となっている。大戦と紐づけるなら、何かしらの大義を信じて戦場に出ていた男が、二つの大戦を通してそれを支える価値観を目の当たりにし拒絶し、それでも戦場への郷愁を捨てきれず挫折する映画として見ることもできる。そして、クライマックスで伝えられる新型のオランダ船の撃破は第二次世界大戦の激化を意味するのだろう。彼や船員のある状況は劇中悪化するばかりである。しかし、曳き船は嵐の中にある他者を救うためにあり、アンドレが船長を続けることで船員達は仕事を失わずに済む。絶望してもなお嵐の海に向かうアンドレにカトリーヌが渡すのは、海の星であるヒトデである。それは暗闇の中にある光の可能性である。そしてそこに込められたのは「愛して」という言葉となっている。