ヌーヴェルヴァーグ

エリック・ロメール『シュザンヌの生き方』日常における支配

エリック・ロメール監督による1963年作『シュザンヌの生き方』について。パッとしない主人公がおり、その親友は主人公を自分より下の存在として見下し利用している。しかし、主人公はそれを認めない。利用されているという事実を自分自身からも隠蔽している…

エリック・ロメール『モンソーのパン屋の女の子』決定論と自由意志

エリック・ロメール監督による1963年作『モンソーのパン屋の女の子』について。主人公はルーティンを持っていて、その中でいつもすれ違う女性に対して執着している。その女性が急に現れなくなったことで、その女性を探すための新しいルーティンを作り出す。…

エリック・ロメール『ベレニス』無意識に乗っ取られる理性

エリック・ロメール監督による1954年作『ベレニス』について。変化のない屋敷に壮年期まで住み続けたことで、夢想することによってその屋敷から幻想へと逃避する主人公。その逃避は、屋敷の何かについて偏執的に分析(瞑想)することによって行われる。

ジャック・リヴェット『修道女』別世界としての演劇 / 鑑賞者の位置

ジャック・リヴェットによる1966年作『修道女』を『セリーヌとジュリーは舟でゆく』で描かれた劇中劇の演者の視点からの映画として読み解き、そしてジャック・リヴェットの映画において別世界として現れる演劇の世界は何か、そこにおける鑑賞者の位置はどこ…

ジャック・リヴェット『パリはわれらのもの』集団的パラノイアの内部

ジャック・リヴェット監督1961年作『パリはわれらのもの』について。演劇を通して世界の秘密を見つけ出そうとしているようなジャック・リヴェットの作品群の中では、その秘密のある空間へと入っていけそうになるが、そもそもその内部に秘密があったのかもわ…

ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』アンナ・カリーナ時代の終わり

ジャン=リュック・ゴダール監督による1965年作『気狂いピエロ』について。ゴダールがアンナ・カリーナと共に映画を撮っていた時代、そしてその終わりを描いた映画として。