ジャック・リヴェット『パリはわれらのもの』集団的パラノイアの内部

ジャック・リヴェット監督1961年作『パリはわれらのもの』について。演劇を通して世界の秘密を見つけ出そうとしているようなジャック・リヴェットの作品群の中では、その秘密のある空間へと入っていけそうになるが、そもそもその内部に秘密があったのかもわからないまま、結局その空間が離散してしまうような映画になっているように思う。

あらすじ

パリに来た女学生アンヌ・グーピル(ベティ・シュナイダー)の目から見た、この街の隠されたもう一つの顔が描かれる。シェークスピアを上演しようとする野心的だが資金に乏しい演劇グループに参加したアンヌは、若いボヘミアンたちの周囲に見え隠れする謎の組織による陰謀にやがて巻き込まれていくことになる。だが、それは実在する組織なのだろうか。第二次大戦後の社会を覆う空虚さと若者たちの遊戯的な躍動感、そしてパラノイアックな空気に満ちた本作は、巨匠リヴェットが生涯探求し続けた「演じること」と「都市の陰謀」のテーマが描かれた傑作。

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体制の陰謀に対する演劇

赤狩りによって追われたアメリカ人、フランコ政権によって終われたスペイン人達など、体制によって抑圧されてきた人々によって構成された組織がある。その組織は体制に対するレジスタンスのようなものとなっている。そのメンバーの一人に演出家がおり、主人公はその演劇の練習に参加する。

その過程で、体制側が何か陰謀を企てているらしいこと、その陰謀に関わる秘密をその組織のメンバーが握っているらしいことがわかる。その秘密を握っていたのは既に死んでしまった演奏家であり、その陰謀について知ってしまったから殺されたようにも見える。

演出家による演劇が体制側の陰謀への対抗策となっている。しかし、その演劇は体制側に奪われ、骨抜きにされてしまう。そして、演出家は同じく陰謀に関する秘密を知っているものとして何者かに命を追われるようになる(ように見える)。主人公はその演出家を救うため、演奏家の痕跡を辿りながらその秘密、そして陰謀に迫っていく。

大団円を迎えない演劇・映画

演出家は演劇の原作を選んだ理由を、話が支離滅裂に進むが大団円で全てのパーツが回収されるような話だからと話す。その演劇と同様に、この映画自体も手がかりが支離滅裂に連鎖していくような展開となっている。そして、その演劇は上演されずに終わる。それと同じく、この映画も大団円を持たず散りばめられた手がかりも回収されずに終わる。

陰謀やそれに関わる秘密が本当にあったのかも明かされず、同時に集団内の人間関係における出来事、秘密も主人公に共有されないまま終わる。それによって、最後の登場人物の死を含めた展開は体制・陰謀によるもの、組織内での人間関係のもつれによるもの、そのどちらにも見えるようになっている。陰謀と組織内の人間関係が同等のもののようにおかれる。

集団的なパラノイア

劇中のセリフによって、この映画の背景に核戦争、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような独裁社会の誕生などの社会的な雲行きから来る不安があることが示される。そして、この映画はその不安による集団的なパラノイア、フィクション的な陰謀が現実と地続きにあるように見えてしまう感覚、それを信じられてしまうような感覚を組織の人々を通して捉えたもののように感じられる。

集団の外部にある主観

一方でこの映画の主観、監督の目線は主人公と共にあり、観客は主人公と共にその集団的なパラノイアの中に入っていくが、最終的にはその真偽を知らされないまま、またその外部へと出ていく。集団的なパラノイアを外部の人間として監督と共に体感していくような映画となっている。

その集団の中にいても決して内部の人間になれないような疎外感は、主人公がその組織の人々の一つ下の世代であることからも補強される。そして、その感覚は明かされない陰謀・秘密の真相とも、主人公には共有されない集団内の関係性における出来事とも響き合う。

ラストショットに象徴されるもの

この世界の秘密・裏側を探す過程と、人間関係の内側へと入っていく過程が重ね合わされるが、結局どちらでも真実を見つけられないまま徒労感のみが残る。一方で、この映画は主人公が別世界へと入りまた戻ってくるという、『千と千尋の神隠し』にも似た成長譚になっているようにも感じられる。

最後の白鳥のショットは、主人公をおいて組織の人々がその集団的なパラノイアと共に去っていったことを象徴しているようにも、主人公のその徒労感、無からくる開放感と虚しさのような感覚を象徴しているようにも、そして主人公が前世代のパラノイアを経験し乗り越えたような感覚を象徴しているようにも見える。

終わりに

演劇を通して世界の秘密を見つけ出そうとしているようなジャック・リヴェットの作品群の中では、その秘密のある空間へと入っていけそうになるが、そもそもその内部に秘密があったのかもわからないまま、結局その空間が離散してしまうような映画になっているように思う。

『セリーヌとジュリーは舟でゆく』は主人公たちと共にその空間に入っていくことに成功するが、そもそもその主人公がいた世界がその空間と違うレイヤーにある別世界だったこと、自分達は主人公たちのいる世界からすらも外側にいたことが明らかになる。劇中の二重構造によって観客が一気にその空間の外へと飛ばされる映画のように思う。秘密に近づいたと思った瞬間にその空間自体が逃げていくような感覚はこの映画と共通するように感じる。

作品詳細

  • 監督 : ジャック・リヴェット / Jacques Rivette
  • タイトル : パリはわれらのもの / Paris nous appartient
  • 製作 : 1961年 フランス
  • 上映時間 : 141分

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