エリック・ロメール監督による1954年作『ベレニス』について。
無意識に乗っ取られる理性
変化のない屋敷に壮年期まで住み続けたことで、夢想することによってその屋敷から幻想へと逃避する主人公。その逃避は、屋敷の何かについて偏執的に分析(瞑想)することによって行われる。
その変化のない屋敷に訪れたベレニスの変化によって、主人公の幻想への逃避癖、その分析の対象がベレニスの一点に集中するようになる。そして、それがさらにベレニスの歯へと集中するようになり、それによって加速された主人公の偏執症、瞑想を通した幻想は遂に主人公の身体を乗っ取るようになる。
屋敷にある現実のものをもとにした瞑想による幻想への逃避、それによって現実と幻想、意識と無意識の狭間を生きていたような主人公が、そこに不意に訪れた変化、死の予感によって一気に幻想、無意識に乗っ取られていくという映画となっている。
また、この映画は語り手は主人公の意識、理性であり、それが段々と偏執症に犯されていく、無意識に侵食されていくに従いこの映画における映像も語りも統合を失っていく。
感想 / レビュー
この監督の無意識的な領域まで踏み込んだフェチズムや内面描写のルーツの一つにエドガーアランポーがあることを知れて良かった。