リズムのズレと断絶 ー ジャック・ベッケル『エドワールとキャロリーヌ』


ジャック・ベッケル(Jacques Becker)による1951年作『エドワールとキャロリーヌ(Edward and Caroline)』について。

リズムのズレと断絶

上流階級出身のキャロリーヌと貧しいピアニストのエドワールは仲が良さそうに見えて、価値観が全く噛み合っていない。エドワールは物を必ず決められた場所に仕舞うが、キャロリーヌはその時々で仕舞う場所を変える。クラシック音楽を好み、服の好みも古いエドワールに対して、キャロリーヌはラジオから流れるポピュラー音楽、流行のファッションを好む。エドワールが大切にしまっている辞書は、キャロリーヌにとっては鏡で服装を確認するための踏み台となっている。キャロリーヌは自分がどう見られるかに強くこだわりを持っているが、それをエドワールは理解せず、キャロリーヌにとって花が持つ意味も理解しない。キャロリーヌはエドワールの演奏を聞いておらず、おそらくその良し悪しもわかっていない。しかし二人は愛し合っていて、無意識的な動作が一致したりする。価値観の相容れなさから発生するズレが、動作などの一致によって収束する。リズミカルな映像に見えるようで、冒頭から弛緩したような何か気持ち悪さの残るリズムが続く。二人のリズムは噛み合わないが、そのズレが弛緩したグルーヴを生み出している。冒頭のエドワールとキャロリーヌは、二人の間にしか成立しない独自のズレたリズムに乗って踊っているように見える。それが、二人の関係性の深さと共に、その不安定さを感じさせる。

二人は、キャロリーヌの叔父の主催する上流階級のパーティに出るために準備をしている。エドワールはそこで演奏する予定で、参加した人々に認められれば、仕事をもらえるかもしれない。しかし、花をなかなか買いに行かないエドワール、キャロリーヌのドレスへの違和感、ベストの紛失など、価値観や生活様式のズレに由来するトラブルによって、その準備が何度も断絶させられる。キャロリーヌは電話を何度も遮られ、エドワールは冒頭から服を着ようとしているのに、何度もそれが遮られた結果、前半の殆どの場面で下着姿のままとなっている。二人のリズムのズレが、リズムの断絶へと繋がっていく。その断絶は、後半に向けて二人のズレが大きくなっていくに従い、頻繁に発生するようになる。この映画においてラスト以外、画面内にあるもの以外から鳴る音を禁じている。そのため、劇中の人物の動きが止まりリズムが断絶した時、この映画は無音になる。リズムの断絶が無音によって強調される。

キャロリーヌとエドワールはリズムからの逸脱によって共通する。それとは対照的に、上流階級の人々はあたかも同じ人形のように規則的に動き、リズムのズレを発生させない。叔父はパーティの準備をしっかりと進め、厳格にパーティを進行させる。参加者たちはその進行に従い、単調なリズムに合わせて同じ踊り方で踊る。キャロリーヌとエドワールのシーンにおいて、リズムのズレとその断絶が基調となっており、上流階級の人々の規則的なリズムはそれらを対比的に強調する。そして、パーティに近づくにつれて増大していく二人の間のズレは、段々とパーティへと侵食していき、その進行やリズムを崩す。リズムの断絶、それによる気まずい無音がパーティへと持ち込まれていく。

二人の間のズレが取り返しのつかないものへと変容する瞬間、メトロノームが投げられ鳴り始める。その規則的なリズムによって、決定的になった二人の間のリズムのズレが強調される。同時に、規則的なリズムは上流階級の人々を象徴するもので、二人のズレが出自の違いに由来するものであることを示唆する。そのシーンではキャロリーヌがメトロノームを、エドワールが花を投げる。それは、二人が互いに相手にとってそれらのもつ意味を理解していないことを象徴する。同時に、キャロリーヌがメトロノームを投げるのは彼女が上流階級の出身だからでもある。そもそも、エドワールは劇中一度もメトロノームを使っていない。

結果、エドワールのみがパーティに出席する。そこで、エドワールは段々と参加者である上流階級の人々と馴染んでいく。途中から参加したキャロリーヌは上流階級出身であり、元から馴染めている。パーティに断絶をもたらしていた二人は、パーティのリズムへと吸収されていく。パーティの参加者たちは全員が夫婦であり、そしてそれぞれが妻や夫以外の異性を誘惑しようとする。しかし、その視線は全て一方通行であり、参加者たちが互いに見つめ合うことはない。参加者である夫婦たちは全員、表面的にのみ夫婦である。冒頭では互いに見つめあっていたキャロリーヌとエドワールは、その一方通行の関係性へとそれぞれ吸収される。馴染んでいたエドワールは、キャロリーヌの登場、そして離婚を切り出されたことによってその場から押し出される。

勧められ再び演奏を始めたエドワールは、途中で弾くのを止める。それを見つめるキャロリーヌは喋ることも動くこともしなくなる。そして二人は誰かを一方的に見つめる参加者たちとは対比的に、誰も見つめなくなる。ピアノを弾くエドワールは視線を落とし、残されたキャロリーヌは宙を見つめる。参加者たちはダンスを始め規則的なリズムを取り戻すが、キャロリーヌはダンスに参加することを断り、パーティを去る。二人は上流階級から去っていく。それと同時に、それぞれが持っていたリズムを失う。パーティから去り家で鉢合わせた二人はリズムを完全に失っており、この映画で最も静的で停滞的なシーンをもたらす。しかし、同じ場所に二人きりになることは、見つめる対象を失っていた二人が徐々に互いを見るきっかけにもなる。二人は盗み見るように互いを見始める。

この時点でキャロリーヌとエドワールは両義的な行動を続ける。離婚しようとしているのかしたくないのかがわからなくなっている。表面的にのみ夫婦だった上流階級の人々に対して、二人は表面的にのみ離婚しようとしているように見える。それを象徴するように、二人は言葉上は離婚しようと言いつつも、同じ椅子で同じ姿勢で本を読み、相手に歩み寄るような態度を見せる。そして、段々と二人の動きが復活していく。キャロリーヌがエドワールと出会った時の服を着ることで、二人は遂に互いを見合うようになる。ここで二人のリズムは一致しており、一致したままピアノの間をぐるぐると回るという暴力的な動きに繋がっていく。エドワールがキャロリーヌを追いかける様は、表面的には襲おうとしているように見えるが、何かじゃれあっているような感覚も残す。おそらく、二人が結婚生活を続けることは、パーティを去った時点で決まっていたんだろうと思う。離婚しようと言い合っていた二人は、エドワールを演奏会へと誘う電話をきっかけとして突如仲直りする。ハッピーエンドへと急転換し映画が終わったように見える。