コルネリュ・ポルンボユ『ホイッスラーズ 誓いの口笛』 反体制言語としての映画

コルネリュ・ポルンボユ監督による2019年『ホイッスラーズ 誓いの口笛』について。体制からの逃避・解放というテーマを持つ作品であり、口笛言語=反体制側のサブリミナル的な意味を持つ映画を通して、主人公が今の社会ではないどこかへとヒロインに導かれながら逃避するような話になっている。

反体制言語としての映画

体制側としての警察に対し、反体制の組織がいる。体制側のシステムとして監視カメラがあり、反体制側の組織がそれに対抗する暗号として口笛言語を使う。 その口笛言語はどこかの島の原住民が使っていたもので、その島に属する存在、その言語を自由に操れる存在としてヒロインがいる。主人公は二重スパイであり、その女をモチベーションとして作戦遂行のためにその言語を学ぶ。

見る側の視点をしつこく映すことで、体制側のシステムとしての監視カメラが映画を見る観客側の視点としても機能してることが示される。劇中にメタ的に映画のセットが導入され、さらにそこにカメラがセットされる。そこで映画的な撃ち合いをさせる。それによってこの劇中の監視カメラが映画におけるカメラの比喩となり、映画自体が体制側に利用されるものであることが示される。

他にもメタ的な言及があり、暗号のように過去の映画のオマージュやルーマニアの映画の引用、監督が殺されるシーンがわざとらしく映画的になるなど、この作品が映画についての映画であることが強調される。

その監視カメラ=体制側に利用された映画に対抗するものとして、暗号である口笛言語が置かれている。口笛言語はそれを読み解ける人しか理解できず、そもそもわからない人は認識すらできないサブリミナルなものである。そしてその口笛言語は反体制側のものである。『ミツバチのささやき』にサブリミナル的に当時の権力、体制にメッセージが隠されているように、口笛言語はサブリミナル的なメッセージを持った反体制側による映画の比喩となる。体制側の映画として監視カメラがあり、反体制側の映画として口笛言語がある。

同時に、その口笛言語は"ここではないどこか"の言語であり、言葉を理解する、体得することがその社会と結びつくこと、その社会に属することになる。主人公はその言語を学んでいくことで、主人公は体制に監視された社会に属しその言語を理解しつつも、同時にその原始的な島にも属するようになる。作戦の結果として主人公は口笛言語以外の言葉を話せなくなってしまう。それによって体制の存在する社会は主人公の属することのできる場所ではなくなり、そのヒロインのいる島が唯一の居場所となる。

そして、口笛言語を通してシンガポールの電子的な森のアトラクションでヒロインと再会する。そのアトラクションは現代に現れた口笛言語の島のようになっている。そこがその体制側に支配されていない場所、監視カメラのないユートピアのように感じられる。

口笛言語=反体制側のサブリミナル的な意味を持つ映画を通して、主人公が今の社会ではないどこかへとヒロインに導かれながら逃避するような話になっている。

体制からの逃避・解放というテーマはこの監督の『トレジャー オトナタチの贈り物。』と共通する。『トレジャー オトナタチの贈り物。』において袋小路から逃げ出したその先が資本主義社会というまた違う袋小路になっていたのと同様、この映画で主人公が辿り着いた先である島は理想郷のようではなく、アトラクションとして表面的で何か空虚な印象を残して終わる。

感想 / レビュー / その他

反体制側の人々やヒロインに対して、主人公周りがやたらとダサくて良い。協力したくないって言い張ってたのにセックスして速攻コロっと協力しちゃうとか、主人公の口笛練習時の涎含めたダサさとか、2回逃げようとして2回とも失敗する感じ、極め付けみたいな感じで大金隠してるの親にバレてそれ寄付されて警察にバレるし神父の友達には結婚とか将来心配されるっていう。

美女、恋愛、女ボスの見せ場、ちゃんと序盤にヒントがあるけど気づけないもう1人の協力者のマットレスの隠し場所、二重スパイとして2つの組織をうまく動かすサスペンス、主人公たちと2つの組織それぞれの作戦の準備と実行、謎が順に明かされていく過去と現在が交錯した構成など、娯楽サスペンス映画としての勘所を綺麗に抑えたような構成になっていて、かつ実際見てれば解説なしで理解できるくらいに複雑さが調整されていて、説明の手際も非常に良い。

主人公の葛藤をセックスで省略したの最高だったし、それが監視カメラを切り抜けるサスペンスと一緒に実現されてるのも最高。協力者がホテルに客が来ないようにするために大音量でオペラをかけていて、そのオペラがまたサスペンス上げるために使われる、しかもオペラはジョルジオのお気に入りだからそこが協力してるのは明らかだったという、話を進める仕掛けを同時に映画的な効果としても使ってたりしていて、始終うまい映画。

オープニングのトンネルに入った瞬間、そのトンネルの先を点としてクレジットが始まって、さらに一度音が切れていたイギーポップが再度鳴り出すところがカッコよすぎる。あとオペラかかってる中トンネルに入って、完全に暗闇の中オペラが鳴ってショットもかっこよかった。

ルーマニアの歴史とか状況を全く知らない自分にとってこの映画がどれくらい切実なものなのかはわからないけど、反体制側の言語としての映画であることを希望的に(も)撮ったものではあって、それが再会に繋がるラストは非常に印象的だった。

監視カメラの一方通行的な映像から口笛の相互作用的な音への転換と思えば、80年代以降のゴダールと共通する認識があるのかもしれない。

関連する作品

同じコルネリュ・ポルンボユ監督による『トレジャー オトナタチの贈り物。』。体制からの逃避・解放というテーマが共通する。この映画ではその逃げた先がまた違う袋小路であり、同じく表面的で何か空虚な印象を残して終わる。

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同じコルネリュ・ポルンボユ監督による『無限のサッカー』。サッカーのルールを考え出す人のドキュメンタリーを通して制度とは何か、体制とは何かという問いにまで辿り着く凄まじい映画。『ホイッスラーズ 誓いの口笛』がスパイアクションとして擬態しつつも体制について語った映画だとすれば、これはサッカーのルールを考え出す人のドキュメンタリーに擬態した映画となっている。

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https://iffr.com/en/iffr/2020/films/the-whistlers