アピチャッポン・ウィーラセタクン『Blue』 焚き火によって現出する存在

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の2018年の短編『Blue』について。森の中に寝ている女性に焚き火がオーバーラップする。同じ場所にスクリーンがあって2つの時代の同じ場所が描かれている。そのスクリーンにも焚き火がオーバーラップする。そして焚き火…

レオス・カラックス『アネット』 映画に映画の終わりを語らせる

映画に映画の終わりを語らせる映画として、レオス・カラックス監督2021年の映画である『アネット』について。演じることと笑わせることが対になる。演じることで観客の代わりに死ぬ妻と、観客を笑わせることで殺す夫。そしてその妻には自分の代わりに死んで…

コルネリュ・ポルンボユ 『トレジャー オトナタチの贈り物。 』 逃れられない袋小路

コルネリュ・ポルンボユ監督による2015年『トレジャー オトナタチの贈り物。』について。インタビューを元にこの作品を持つ意味を考えていく。映画に出てくる迷路みたいな打ち捨てられた庭は実際に存在していて、その中で監督達が暗くなるまで見つからない宝…

コルネリュ・ポルンボユ『ホイッスラーズ 誓いの口笛』 反体制言語としての映画

コルネリュ・ポルンボユ監督による2019年『ホイッスラーズ 誓いの口笛』について。体制からの逃避・解放というテーマを持つ作品であり、口笛言語=反体制側のサブリミナル的な意味を持つ映画を通して、主人公が今の社会ではないどこかへとヒロインに導かれな…

コルネリュ・ポルンボユ 『無限のサッカー』 社会の成り立ち / その理想

コルネリュ・ポルンボユ監督による2018年の『無限のサッカー』について。サッカーの新しいルール作りをルーマニア含めた世界の直近30年あたりの歴史と接続して、さらにはプラトンからキリスト教による封建社会の成立まで歴史的なスコープを広げて、そもそも社…

モーリス・ピアラ 『ルル(Loulou)』 映画を通した内省シミュレーション

モーリス・ピアラによる1980年の映画『Loulou』について。嫉妬したら反射的に感情的になるような決定的な自己肯定感の低さを持ちつつも、それは過去の経験によって嫉妬がパーソナリティに深く刻まれたからで、本来は優しい人だったように見える男がいる。そ…

モーリス・ピアラ 『Graduate First』 牢獄としてのモラトリアム

モーリス・ピアラによる1978年の映画である『Graduate First』について。That’s life という言葉が親から何回か出てきて、その子供たちがその that を反復して再現していくような繰り返しの話。そういう空気感だからこそ、写真モデルを親が断った時に、将来…

モーリス・ピアラ 『開いた口』 物質に向かう死と再生産される家庭

モーリス・ピアラによる1974年『開いた口』について。母が病気でジリジリと動けなくなって死んでいく映画。冒頭の直感的に死を自覚してる母とそれを知ってる子の間の会話の気まずさと親密さが同居する会話のセンチメンタルさに対して、それ以降その母の死に…

『天気の子』における搾取構造の否定

新海誠監督『天気の子』について。最初の方、ネカフェに泊まるシーンにおいて帆高が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹翻訳の方)を読んでいることがわかります。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は学校からドロップアウトし主人公ホールデンが社…