フランス映画

ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』アンナ・カリーナ時代の終わり

ジャン=リュック・ゴダール監督による1965年作『気狂いピエロ』について。ゴダールがアンナ・カリーナと共に映画を撮っていた時代、そしてその終わりを描いた映画として。

ロベール・ブレッソン『少女ムシェット』鳥としての少女

ロベール・ブレッソン監督による1967年作『少女ムシェット』について。冒頭の鳥と同様に、ムシェットは地べたでの生活をしており、どこに行っても罠がある。その中で、物理的にも雨に打たれて泥まみれになるのが描写されていく。母親の死と強姦によって周囲…

ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』無力な存在

ロベール・ブレッソン監督による1966年作『バルタザールどこへ行く』について。幸せそうな家庭があり、ほとんど結ばれてるような幼馴染がいて、大切に飼われているロバがいるという理想的な状況がある。しかし、その幼馴染は結ばれず、家庭は破産し農具が近…

ロベール・ブレッソン『ジャンヌ・ダルク裁判』象徴させない演出

ロベール・ブレッソン監督による1962年作『ジャンヌ・ダルク裁判 』について。カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』が権力差や体制の暴力性、内的な葛藤など、裁判に関わる要素の象徴的な演出に溢れていたのに対して、この映画は主軸の3人、…

レオス・カラックス『アネット』 映画に映画の終わりを語らせる

映画に映画の終わりを語らせる映画として、レオス・カラックス監督2021年の映画である『アネット』について。演じることと笑わせることが対になる。演じることで観客の代わりに死ぬ妻と、観客を笑わせることで殺す夫。そしてその妻には自分の代わりに死んで…

モーリス・ピアラ 『Graduate First』 牢獄としてのモラトリアム

モーリス・ピアラによる1978年の映画である『Graduate First』について。That’s life という言葉が親から何回か出てきて、その子供たちがその that を反復して再現していくような繰り返しの話。そういう空気感だからこそ、写真モデルを親が断った時に、将来…

モーリス・ピアラ 『ルル(Loulou)』 映画を通した内省シミュレーション

モーリス・ピアラによる1980年の映画『Loulou』について。嫉妬したら反射的に感情的になるような決定的な自己肯定感の低さを持ちつつも、それは過去の経験によって嫉妬がパーソナリティに深く刻まれたからで、本来は優しい人だったように見える男がいる。そ…

モーリス・ピアラ 『開いた口』 物質に向かう死と再生産される家庭

モーリス・ピアラによる1974年『開いた口』について。母が病気でジリジリと動けなくなって死んでいく映画。冒頭の直感的に死を自覚してる母とそれを知ってる子の間の会話の気まずさと親密さが同居する会話のセンチメンタルさに対して、それ以降その母の死に…