バズ・ラーマン『エルヴィス』雑感

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雑感

映画全体のナレーターがエルヴィスプレスリーのマネージャーとなっていて、そのマネージャーの病床での回想という形で映画が始まる。そのマネージャーはエルヴィスプレスリーを搾取していてその死の原因もそのマネージャーにあると考えられていることが語られる。その後、原因は本当にマネージャーだったのか、そうでないなら原因は何だったのかをサスペンスとして見せていく形で映画が進む。

そして、その後そのマネージャーがサーカスの見せ物としてエルヴィスプレスリーを見出し、そして見せ物として支配し搾取していく過程が見せられる。映像としては序盤からエルヴィスプレスリーの視点へと切り替わっていくのに対して、マネージャーが搾取していたことが明確になってからもナレーターはマネージャーのままとなっている。

エルヴィスプレスリーが囚われ搾取されていく過程が映像によって語られるのに対して、認知の歪んだ状態のマネージャーによるナレーションが付けられた映画となっていく。さらにナレーターは最後までマネージャーのままなので、マネージャーの認知の歪みについての映画のように感じる。マネージャーの「エルヴィスプレスリーを殺したのはファンやあなたへの愛だ」みたいなナレーションで映画が締められるけど、明確に原因の一つとして描かれていて、さらに信頼できないナレーターと化したマネージャーがそれを言うことで非常に複雑な気持ちになった。そもそも映画で描かれてきたエルヴィスプレスリーの行動原理を表すものはファンへの愛という言葉ではないように感じるし、このナレーションはただのマネージャーの自己正当化ってことなんだろうか。

また、最後にラスベガスで立てない状態でも全力で歌うエルヴィスプレスリーの姿が映され、自分は命が尽きるまで飛び続けることしかできない足のない鳥なんだというセリフが引用される。煌びやかなエンドロールと併せてそれがあたかもスターとして一生を駆け抜けたように見せられるけど、立てない状態になったのはマネージャーによるもので、セリフの引用も映画内で見せられた翼をもがれていく姿と真逆のものになっている。さらにそれを認知の歪んだマネージャーのナレーションと共に見せられる。そのエルヴィスプレスリーの生涯の締めとしてのラストが、マネージャーのナレーションと決定的に噛み合っていないように感じる。

ドイツ表現主義映画のような、マネージャーを主人公を操る悪魔、魔術師として、そのマネージャーがメタ的にも映画を操っている映画として見れなくはないし、エルヴィスプレスリーと契約を結ぼうとするシーンでのあからさまな魔術師のような服装や動き、サーカスという舞台はそれが理由なんだと思う。ただ、そう見たとしても中途半端なように感じる。

映像としてはかなり忙しないものになっていて、それは病床にあるマネージャーの回想でありその回想が絶えず自分の都合の良いように書き換えられているからである。ただ、その忙しなさが緊張での足の震えを腰を震わせるダンスへと昇華したエルヴィスプレスリーのその寄る方なさを表すものにもなっている。マネージャーのエルヴィスプレスリーに対する「お前は俺だ」というセリフだったり、2人を同じものとしようとするけど、それが特に物語構造と一致していないので謎。エルヴィスプレスリーとマネージャーという2人を主軸に置いているのに、マネージャーにだけ特権的な立ち位置が与えられているのがうまくいってないところなのかもしれない。

スターシステムの裏側としてのマネージャーによる搾取、黒人コミュニティで育った白人が白人として白人に支配された構造の中でスターになることにより生まれる軋轢、擬似家族としてのサーカス出身のマネージャーによる家族の乗っ取り、社会背景など、全てを語ろうとした映画のような印象で、それを無理やりマネージャー視点でのサスペンスを軸に構成したことで、何をしたいのかわからないものになってしまっているように思う。

描こうとしている内容自体はすごく正しいものに思えたけど、情報量もカットも多い映像、直接的に語ってしまう感じが個人的に苦手で、それに加えてナレーターとしてのマネージャーという構造が自分にとってかなりのノイズだった。

https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/news/?id=1