ピエル・パオロ・パゾリーニ『アッカトーネ』予め定められた役割

ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1961年作『アッカトーネ』について。

あらすじ

まるで必然のように身を堕していく男を冷徹に描いたパゾリーニの劇場未公開作品。貧民街に暮らすアカトーネと呼ばれる男。彼は仕事もせず、気のあった仲間とその日暮らしを続けていた。やがてその生活は、彼の命までも奪っていく……。

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00008BLO2

予め定められた役割

タイトルにもなっているアッカトーネはピンプであり、愛人を売春婦にすることで働かずに収入を得ている。アッカトーネのような人々にとって、働くとすれば重労働しか選択肢がなく、労働しながら生きることを選べば労働に一生縛られて生きることになる。一方で労働を拒否すれば、アッカトーネの周囲の人々と同じように盗みや賭けなどによって生計を立てる、もしくは乞食として生きる生きるしかなくなる。

アッカトーネという名前はイタリア語で乞食を意味するらしい。アッカトーネは愛人からの収入で生きているが、その愛人が逮捕されたことで収入源を失うことになる。それによってアッカトーネは乞食となる。

アッカトーネは利己的ではなく、仲間の妻や子供を養うなど利他的な行動をする。予め決められた役割という意味での天職で言えば、アッカトーネは生まれた時点で乞食であることが決められていた存在である。アッカトーネは労働に縛られた生活を選択して拒否するというよりは、本能的に拒絶している、生理的に労働が合わないように見える。その一方で、愛している人を他者に差し出すことでしか収入を得ることができない自分、乞食である自分に対しても拒否感を感じているように感じられる。アッカトーネは生来乞食であることを決定されているが、その乞食である自分を拒否する。

それによって、アッカトーネは自分を殺すような行動を繰り返す。しかし、アッカトーネの生きる社会は労働によって自分自身の肉体や精神を差し出すことでしか収入が得られない、そうでしか生きれない社会である。つまり、そこで生きていくこともまた自己破壊的な行動となる。アッカトーネの自己破壊的な行動はいわば収入を伴わない、生きることに繋がらないものであり、アッカトーネは乞食として労働から排除されているにも関わらず、他の労働者たち、つまり社会全体と共振するように自己犠牲だけを繰り返す。

それに対して、自己を犠牲にせずに生きていく方法として、ピンプとして他者を差し出すこと、そして他者から盗むことがあり、アッカトーネはピンプとして生きれなくなった後盗みを働くようになる。それは労働も乞食になることも拒否するアッカトーネに残された唯一の選択肢となっている。しかし、そのような行動をすることは社会から排除される、殺されることに繋がる。そして、クライマックスでは夢の中でアッカトーネ含めたピンプ達全員が死に、アッカトーネは盗みをした結果現実世界で死ぬ。ピンプとなったこと、盗みをしたことによってアッカトーネは二度死ぬ。

アッカトーネは生まれながらに労働に適合することができない、つまりその社会において生きていくことができない。しかし、同時にその乞食としての自分を拒絶するため、労働に伴う自己破壊をも課されている。いわば労働、そしてその外で生きることの二重の苦を背負った存在となってる。主人公は乞食である自分、労働者としての自分のどちらをも拒否し続ける。そのような人に残された選択肢はピンプとなること、盗みをすることしかない。その結果、アッカトーネは死ぬ。アッカトーネの死はその苦しみからの解放のように、肯定的な視線で撮られているように見える。

感想 / レビュー / その他

複数人が立ち上がるところを1人立ち上がるたびに同じカメラの動きで全員映すなど、かなりの数いる登場人物全員の顔をしっかり映している印象がある。そのショット単体で見るとかなり浮いて見えはするが、画面に映る誰もモブにしないというような意思を感じた。

作品詳細

  • 監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ / Pier Paolo Pasolini
  • 作品:アッカトーネ / ACCATTONE
  • 製作:イタリア 1961年