ピエル・パオロ・パゾリーニ『マンマ・ローマ』捻じ曲げられない運命


ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1962年作『マンマ・ローマ』について。

あらすじ

マンマ・ローマは別れて暮らしていた16歳の息子エットレと一緒に暮らすため売春婦稼業から足を洗う。息子にはカタギの人生を送って欲しいと奮闘するが、昔のヒモのカルミネが現れて金をせびる。売春婦の過去を息子に知られたくないマンマ・ローマは再び体を売ることに。母親のそんな思いも知らず息子は不良仲間とつるみ、盗みに入る。しかし逮捕され、獄中で病死する。

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捻じ曲げられない運命

おそらく戦争孤児であり娼婦として生きていくしかなかったマンマ・ローマが、息子であるエットレを自分とは違う階級へ抜け出させようとする。そのために、娼婦の仲間と協力して息子に上流階級向けのレストランの仕事を得させ、息子を自分のような女性から離そうとする。

パゾリーニ監督による前作『アッカトーネ』と同じく、生活階級が運命、天職として生まれた時から決まっているような描かれ方となっており。エットレにはマンマ・ローマの介入がなければ、盗みや悪い仲間たちへの方へ自然と傾いていくような、社会構造によって決められたような力学が働いている。その介入によって一度エットレは仕事を得て、元より上の階級、安定した生活へと移る。それはマンマ・ローマが夢見ていたものである。しかし、逃れることのできない運命のように、昔の夫がマンマ・ローマとエットレの元に訪れる。その昔の夫の訪れによって、マンマ・ローマは元の生活に戻され、エットレもまた、安定した生活からマンマ・ローマや昔の夫と同じ生活へと戻される。

アメリカ映画ではよく、貧困層の住む地域から川越しに見えるマンハッタンの夜景がこことは違う場所の象徴として出てくる。マンマ・ローマにとっては自身の住むマンションから見える景色こそがそれであり、息子であるエットレに暮らしてほしい場所の象徴となっている。そして、マンマ・ローマの介入の結果として、エットレはそのマンションから見えるその場所に移される。しかし、それは精神病患者であり犯罪者として強制的に収容されることによってである。マンマ・ローマは息子を自分の望んだ場所に移してやることができたということになるが、そこから息子は動けず、マンマ・ローマも息子に届くことができない。

アッカトーネ』は社会の力学、それによって規定された個人の運命から逃げつつけた結果死によって解放される映画だった。それに対して、この映画は社会の力学に逆らって無理やり運命を変えようとした結果、その社会の外部に閉じ込められる映画となっている。ローマを舞台にしたネオレアリズモ的なこの二つの映画は、そういう意味で対になっている。

感想 / レビュー / その他

反復される夜の道路沿いに娼婦達が集うシーンは、背景に光しか映らないロケーション、1人語りに対して聞き手が交代していくミュージカルのような演出もあり、非現実的かつ非常に美しいシーンとなっている。

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