キム・ボラ監督2018年作『はちどり』について。
何かがよく見えるように感じられる瞬間
母、父、兄が演じてきた家父長的な家庭内での役割が家族への葛藤とともにそれぞれ崩れていく。それと平行に、その役割に適合できなかった人も死んでいくし、それを強いてきた社会自体が崩れていくことも、ストライキの垂れ幕や金日成の死、橋の崩落によって示される。家父長的な家庭、それを強いてきた社会が変化し終わりを迎えていくような映画。
主人公にはまだ見えていないものが多くあり、それが被写体深度の浅さやクローズアップ、ロケーションの閉塞感、登場人物の少なさなどを含めて主人公の周りが非常に小さく密室的に描かれることで示される。
主人公はこの映画を通してその変化していく家族や社会と接続していく。そして、橋での事故によってその当事者として今まで見えていなかった社会を見つける。
最後の視界が開けるようなショット、主人公が見渡すと周りの生徒が塾の先生の言葉と共にピントが合い、画面の前景に現れる。それによって主人公から社会、他者が見えるようになったような感覚がある。しかし、すぐにまたピントが外れ、他者は遠景となり見えづらくなる。経験を通して一瞬だけ何かが見えたような感覚を残してこの映画が終わる。
空間的な狭さとその広がり
家族内での男女間の格差と年齢に由来する両親への心理的な距離や、社会的なスケールを持つ要素と個人、家族レベルのスケールの要素が同じスケールのものとして置かれているその空間的な狭さがあり、それが全てが同じ半径の中にあるような、思春期的な感覚のように感じられる。
さらに、その空間的な狭さが主人公の生きる環境としての団地とも対応している。夜に光る団地の窓が並んで見えるショットから、この映画の中で描かれたような変化がこの団地の部屋一つ一つにあるような感覚があり、その感覚によって空間的な狭さが無限に広がっていくように感じる。