濱口竜介監督による2012年作『親密さ』。渡されずに落ちていた想像力が拾われ、演劇や詩、映画になることについて。
ロベール・ブレッソン監督による1977年作『たぶん悪魔が』について。ロマン主義的に絶望の中から美を求める主人公が、非人間的な手続きで組み上げられた社会に回収されていく映画として。そして、ブレッソンの映画はその方法によってその社会への抵抗となっ…
ロベール・ブレッソン監督による1974年作『湖のランスロ』について。近代化していく社会が破滅する映画であると同時に、近代化し切った社会が破滅する映画でもあるという二重構造となっている。その二つが音によって組み立てられ響き合うようになっている。
ロベール・ブレッソン監督による1969年作『やさしい女』について。主人公が絶望に至る過程を撮った映画である一方で、監督自身の方法論によってこの映画自体が劇中のマクベスと重ね合わされ、ある種の希望のようになっている。
ジャン=リュック・ゴダール監督による1965年作『気狂いピエロ』について。ゴダールがアンナ・カリーナと共に映画を撮っていた時代、そしてその終わりを描いた映画として。
タル・ベーラ監督による1977年作『ファミリー・ネスト』について。3つの家族が住む家があり、その家を共産主義国家であるハンガリーの比喩とする。父は実質的な権威は失われていて家庭内の問題を解決することもできない。そして、その権威と崩れゆく家を抑圧…
エドガー・ライト監督による2021年作『ラストナイト・イン・ソーホー』について。冒頭、地方に住み、60年代のロンドンに憧れる主人公は鏡を通して自身の姿を映画の主人公に重ねる。そして、デザイン専門学校に入学するためロンドンに移り住む。そして鏡を通…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1988年作『愛に関する短いフィルム』について。愛に対して理想的な人と現実的な人についての映画。主人公は自分、他者への解像度が低く、他者との関わり方がわからない。それゆえに愛を理想的に信じている。主人公が…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1988年作『殺人に関する短いフィルム』について。意図的に他者に対して嫌がらせをしているタクシードライバーがおり、より加害欲求を拗らせた存在として主人公がいる。それに対して社会の上層に属する存在として弁護…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1984年作『終わりなし』について。当時のポーランドは共産主義体制下にあり、それに対して結成された組織が「連帯」であり、労働者を中心に民主化運動を行なっていた。その活動を体制側が刑罰や軍事力で強制的に封じ…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1981年作『偶然』について。人生の目的を見失ってしまった主人公の運命が、電車に間に合うか、止められるか、乗るのを諦めるかによって三つに分岐する。そして一つ目の分岐では体制側(共産主義)へと、二つ目では反…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年作『アマチュア』について。表現を抑圧するものとして権力があり、ここではその権力は工場の上部となる。そして、その権力に対抗するものとして労働者が存在する。権力に抗い理想の表現を実現することに対して…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年の短編『トーキング・ヘッズ』について。1980年という同じ年に、同じポーランドで1歳から100歳の異なる年齢の人々に対して、「あなたは誰ですか?」「あなたは人生に何を望みますか?」という同じ質問を投げか…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年の短編『異なる年齢の7人の女性』について。短編の中で1週間の時間が流れ、曜日ごとに7人の異なる年齢の女性が映される。女性は全てバレリーナであり、指導される子供に始まり、バレリーナとして舞台で活躍して…
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1977年作『ある夜警の視点から』について。国の制度によるインセンティブによって、国が正しいとするルールを内在化した男を撮ったドキュメンタリー短編。男は夜警であり、国から与えられた役割、国が決めたルールと…