クシシュトフ・キェシロフスキ『終わりなし』理想への逃避

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1984年作『終わりなし』について。当時のポーランドは共産主義体制下にあり、それに対して結成された組織が「連帯」であり、労働者を中心に民主化運動を行なっていた。その活動を体制側が刑罰や軍事力で強制的に封じ…

クシシュトフ・キェシロフスキ『偶然』分岐により浮かび上がる社会 / 人間

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1981年作『偶然』について。人生の目的を見失ってしまった主人公の運命が、電車に間に合うか、止められるか、乗るのを諦めるかによって三つに分岐する。そして一つ目の分岐では体制側(共産主義)へと、二つ目では反…

クシシュトフ・キェシロフスキ『アマチュア』メタ構造により反転する結末

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年作『アマチュア』について。表現を抑圧するものとして権力があり、ここではその権力は工場の上部となる。そして、その権力に対抗するものとして労働者が存在する。権力に抗い理想の表現を実現することに対して…

クシシュトフ・キェシロフスキ『トーキング・ヘッズ』社会 / 人生の普遍的なスナップショット

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年の短編『トーキング・ヘッズ』について。1980年という同じ年に、同じポーランドで1歳から100歳の異なる年齢の人々に対して、「あなたは誰ですか?」「あなたは人生に何を望みますか?」という同じ質問を投げか…

クシシュトフ・キェシロフスキ『異なる年齢の7人の女性』反転図形としての映画

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1979年の短編『異なる年齢の7人の女性』について。短編の中で1週間の時間が流れ、曜日ごとに7人の異なる年齢の女性が映される。女性は全てバレリーナであり、指導される子供に始まり、バレリーナとして舞台で活躍して…

クシシュトフ・キェシロフスキ『ある夜警の視点から』全体主義の構造

クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1977年作『ある夜警の視点から』について。国の制度によるインセンティブによって、国が正しいとするルールを内在化した男を撮ったドキュメンタリー短編。男は夜警であり、国から与えられた役割、国が決めたルールと…

ホウ・シャオシェン『冬冬の夏休み』映画となる夏休み

ホウ・シャオシェン監督による1985年作『冬冬の夏休み』、そしてホウ・シャオシェンにおける「見ること=映画」という構造について。子供の特徴として、友達間以外では状況に対して何もできないということがある。この映画ではそれがルールとして設定される。…

ホウ・シャオシェン『童年往事 / 時の流れ』映画として主観化される記憶 / 感情

ホウ・シャオシェン監督による1985年作『童年往事 / 時の流れ』について。文字通り時の流れが収められたような映画で、その時の流れに伴い社会が変容し、その影響を受けつつ主人公の家庭も変容していく。そして、主人公自身も変容していく。

ホウ・シャオシェン『風櫃(フンクイ)の少年』映画のように見える日常

ホウ・シャオシェン監督による1983年作『風櫃(フンクイ)の少年』について。 日常を映画のように見る少年たち 主人公である少年が大人になる直前の悪友や片想いの相手、親の家族像をなぞることなどに対する葛藤についての物語であり、モラトリアム映画。そ…

ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』人類の星の時間 / 瞬間を記録する映画雑誌

ウェス・アンダーソン監督による2021年作『フレンチ・ディスパッチ』、そのモチーフとなっているだろうシュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』について。大枠は『グランド・ブダペスト・ホテル』と同様に、多様で理想郷的なコミュニティが失われてしま…

キム・ボラ『はちどり』空間的な狭さとその広がり

キム・ボラ監督2018年作『はちどり』について。母、父、兄が演じてきた家父長的な家庭内での役割が家族への葛藤とともにそれぞれ崩れていく。それと平行に、その役割に適合できなかった人も死んでいくし、それを強いてきた社会自体が崩れていくことも、スト…

ロベール・ブレッソン『少女ムシェット』鳥としての少女

ロベール・ブレッソン監督による1967年作『少女ムシェット』について。冒頭の鳥と同様に、ムシェットは地べたでの生活をしており、どこに行っても罠がある。その中で、物理的にも雨に打たれて泥まみれになるのが描写されていく。母親の死と強姦によって周囲…

ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』無力な存在

ロベール・ブレッソン監督による1966年作『バルタザールどこへ行く』について。幸せそうな家庭があり、ほとんど結ばれてるような幼馴染がいて、大切に飼われているロバがいるという理想的な状況がある。しかし、その幼馴染は結ばれず、家庭は破産し農具が近…

ロベール・ブレッソン『ジャンヌ・ダルク裁判』象徴させない演出

ロベール・ブレッソン監督による1962年作『ジャンヌ・ダルク裁判 』について。カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』が権力差や体制の暴力性、内的な葛藤など、裁判に関わる要素の象徴的な演出に溢れていたのに対して、この映画は主軸の3人、…

カール・テオドア・ドライヤー『ゲアトルーズ』 愛への信仰と自己の分裂

カール・テオドア・ドライヤー監督による1964年作『ゲアトルーズ』について。愛が全て、裏返せば愛以外がない、信仰もないし生きてもいないという女の人が主人公となる。恋愛と思考が両立し、恋愛の中で愛と官能が共存する。そしてその恋愛が永遠に維持され…

カール・テオドア・ドライヤー『奇跡』 受け継がれる信仰

カール・テオドア・ドライヤー監督による1954年作『奇跡』について。父、仕立て屋に代表される2つの宗派があり、対立している。どちらも自然法則に逆らえないと考えていることは共通している。インガの死が中心となるが、どちらの宗派にとっても、自然は神が…

カール・テオドア・ドライヤー『怒りの日』 信仰と対置・並列される魔術

カール・テオドア・ドライヤー監督による1943年作『怒りの日』について。教会による同化的・排他的な制度、婚姻制度によって抑圧された社会があり、魔女狩りが行われている。魔女狩りの根拠となる信仰が、実際に起こったのか不確かな魔術と同等に、この社会…

カール・テオドア・ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』 覆い尽くすシステム

カール・テオドア・ドライヤー監督による1928年『裁かるゝジャンヌ』について。 システムとしての体制、人間としてのジャンヌ ジャンヌを神の啓示を受けた19歳の少女とする。そのジャンヌが体制にひたすら蹂躙されるように命と信仰のどちらをとるかを試され…

アピチャッポン・ウィーラセタクン『MEMORIA メモリア』 太古からの記憶の受信

『MEMORIA メモリア』はアピチャッポン・ウィーラセタクン(正式な日本語表記は アピチャートポン・ウィーラセータクン らしい)監督の2021年の映画である。人類の起源を含めた数千年以上前からの記憶を吸収し保存してきた自然があり、それがトンネルによっ…

アピチャッポン・ウィーラセタクン『真昼の不思議な物体』 接続されていくパーソナルな物語

『真昼の不思議な物体』 はアピチャッポン・ウィーラセタクン(正式な日本語表記は アピチャートポン・ウィーラセータクン らしい)監督による2000年公開の一作目である。 接続されていくパーソナルな物語 相手を失った男についてのラジオドラマが流れる中、…

アピチャッポン・ウィーラセタクン『Blue』 焚き火によって現出する存在

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の2018年の短編『Blue』について。森の中に寝ている女性に焚き火がオーバーラップする。同じ場所にスクリーンがあって2つの時代の同じ場所が描かれている。そのスクリーンにも焚き火がオーバーラップする。そして焚き火…

レオス・カラックス『アネット』 映画に映画の終わりを語らせる

映画に映画の終わりを語らせる映画として、レオス・カラックス監督2021年の映画である『アネット』について。演じることと笑わせることが対になる。演じることで観客の代わりに死ぬ妻と、観客を笑わせることで殺す夫。そしてその妻には自分の代わりに死んで…

コルネリュ・ポルンボユ 『トレジャー オトナタチの贈り物。 』 逃れられない袋小路

コルネリュ・ポルンボユ監督による2015年『トレジャー オトナタチの贈り物。』について。インタビューを元にこの作品を持つ意味を考えていく。映画に出てくる迷路みたいな打ち捨てられた庭は実際に存在していて、その中で監督達が暗くなるまで見つからない宝…

コルネリュ・ポルンボユ『ホイッスラーズ 誓いの口笛』 反体制言語としての映画

コルネリュ・ポルンボユ監督による2019年『ホイッスラーズ 誓いの口笛』について。体制からの逃避・解放というテーマを持つ作品であり、口笛言語=反体制側のサブリミナル的な意味を持つ映画を通して、主人公が今の社会ではないどこかへとヒロインに導かれな…

コルネリュ・ポルンボユ 『無限のサッカー』 社会の成り立ち / その理想

コルネリュ・ポルンボユ監督による2018年の『無限のサッカー』について。サッカーの新しいルール作りをルーマニア含めた世界の直近30年あたりの歴史と接続して、さらにはプラトンからキリスト教による封建社会の成立まで歴史的なスコープを広げて、そもそも社…

モーリス・ピアラ 『ルル(Loulou)』 映画を通した内省シミュレーション

モーリス・ピアラによる1980年の映画『Loulou』について。嫉妬したら反射的に感情的になるような決定的な自己肯定感の低さを持ちつつも、それは過去の経験によって嫉妬がパーソナリティに深く刻まれたからで、本来は優しい人だったように見える男がいる。そ…

モーリス・ピアラ 『Graduate First』 牢獄としてのモラトリアム

モーリス・ピアラによる1978年の映画である『Graduate First』について。That’s life という言葉が親から何回か出てきて、その子供たちがその that を反復して再現していくような繰り返しの話。そういう空気感だからこそ、写真モデルを親が断った時に、将来…

モーリス・ピアラ 『開いた口』 物質に向かう死と再生産される家庭

モーリス・ピアラによる1974年『開いた口』について。母が病気でジリジリと動けなくなって死んでいく映画。冒頭の直感的に死を自覚してる母とそれを知ってる子の間の会話の気まずさと親密さが同居する会話のセンチメンタルさに対して、それ以降その母の死に…

『天気の子』における搾取構造の否定

新海誠監督『天気の子』について。最初の方、ネカフェに泊まるシーンにおいて帆高が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹翻訳の方)を読んでいることがわかります。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は学校からドロップアウトし主人公ホールデンが社…